2019年M-1・インタビューなぜ“神回”になったか『すゑひろがりず』

お笑い芸人さんのヒストリー大好き、不器用な男たちが真剣に戦っている、スポーツも勿論だけどお笑いも充分に感動する!そして笑顔にしてくれる、最高じゃないか!お笑い芸人。

「過去最高って言ってもいいのかもしれないですね。数年前なら誰が出ても優勝していたんじゃないか、というレベルの高さでした」

大会の締めに審査員のダウンタウン松本人志がこう語るほど、2019年のM-1は沸いた。では何がこの“神回”を作ったのか。出場した漫才師たちのインタビューから、その答えに迫っていく。

最初に証言してくれたのは「すゑひろがりず」。和服姿で鼓を使い、能や狂言を取り入れた漫才で大きなインパクトを残した。ただ、すゑひろがりずが登場したのは、2番手かまいたち、3番手和牛(敗者復活枠)が高得点を出した直後。

「大会のピークが過ぎた……」と他の芸人が思うなか、彼らだけが「この4番目で出させてくれ」と思っていた理由とは――?

「かまいたちさん、和牛さんのあとは焼け野原でした」
――出番順については当初、どのように考えてたんですか?

南條 なんならトップでもいいぞ、って。

三島 準々決勝、準決勝と、比較的早い出番で、そこまでの重い空気を変えられたというイメージがあったんで、できれば序盤、僕らがドーンと火ぃつけたみたいな空気を出せればいいなと思っていました。

――ところが、その目論見は物の見事に外れてしまいました。

三島 4番手と早い出番でしたけど、直前の和牛さん、その前のかまいたちさんと死ぬほどウケていましたからね。火ぃつけるどころか、すでに焼け野原でした(笑)。

「番組のピークちゃうか」和牛の敗者復活発表
――かまいたちが2番手で660点という高得点を出したときは、どう思いましたか?

三島 優勝やろ、って。

南條 後ろで出番を待っていた何人かが「もう、優勝やん」って言ってましたね。これ、優勝するやつ(流れ)や、みたいな。

――そして、3番手で注目の「敗者復活」のクジが出て、復活組発表では大方の予想通り、和牛が選ばれました。

南條 和牛さんって発表された瞬間、スタジオの歓声が異常やったんです。揺れるぐらい。後ろの連中は、今、番組のピークちゃうかみたいな。

――その和牛は期待に違わぬハイレベルなネタを披露し、かまいたちに次ぐ652点を叩き出したわけですよね。

三島 もう番組が終わった感がありましたね。本命、全部出てもうた、と。この後、どないすんねんって。ほとんどが初出場組だったので、誰も興味持ってくれないんじゃないかなみたいな。

南條 これ、エンディング? って感じですよ。ここでエンドロール入っても誰も怒らんやろって。裏でみんな苦笑いしてました。

――この後、出て行くコンビは大変ですよね。どうしたって比べられてしまいますからね。

三島 でも「もうここは行かしてくれ」と思ってましたね。

――「焼け野原」なのに?

「僕らが空気を変えて、番組を盛り上げたい」
南條 たぶん、あの時、この雰囲気に唯一、食われなそうなのが僕らだと思ったんです。

三島 格好も、ネタのスタイルも、かなりの変化球なので、僕らならこの場をリセットできるんやろなと思って。ここで1発、空気を変えて、後ろの組にいいバトンを渡そうみたいな。

――番組全体のことも視野に入れていたわけですね。

南條 スタジオにいると、そういう気分になってくるんですよ。盛り上げたいって。番組として、尻上がりになって欲しいじゃないですか。

三島 もちろん、ここでウケたら、強烈なインパクトを残せるなという考えもありました。なので、次来い、次来い、って。

――「笑神籤(えみくじ)」ですゑひろがりずの名前が出たとき、お二人は「よし」という感じでしたもんね。

三島 願ってたら、ほんとに出ましたからね。ちょっと怖くもなりましたが、よしよし、行ってこうみたいな。

南條 もう、待つよりは早く行きたかったですからね。

「前日に非常階段で登場シーンを20回練習しました」
――まず、お二人の登場シーンが話題になりました。せり上がりで、2人が小鼓と扇子を掲げながら上がってきて。それから、南條さんは、階段を降りるとき、音楽に合わせ小鼓をポンポン鳴らしていたんですよね。

南條 練習の成果が出せました。

――練習されてたんですか?

三島 前日、渋谷のヨシモト∞(無限大)ホールという劇場の非常階段で、後輩に見てもらいながら、登場の仕方の練習を20回ぐらいやりました。どんなポーズをして上がってきたら、いちばん雅やかに見えるかな、と。あと、袴なんで、階段を降りるときに裾を踏まないよう何度も練習しました。

――本番の階段って何段ぐらいあるんですか。

三島 4段ぐらいです。あそこがいちばん緊張しましたね。心臓がクッとなりました。

南條 あんな動き、人生でないですからね。下を向いて降りてって、目の前に何百人のお客さんが待ってるなんて。

「それ、中尊寺」でイケると思った
――あの登場場面で自分たちを見失ってしまうという話を、よく聞きますもんね。

南條 舞台裏はとても暗くて、舞台に出る瞬間にパッと目の前が明るくなるんです。スタジオのセットが金色なので、むちゃくちゃ明るく見えるんです。暗闇から光の中へブワーッと出る感じで。確かに、あそこでリズムが狂っちゃう人はいるでしょうね。

――そこへ行くと、お2人は、実に堂々たるネタ披露でした。「すゑひろがりずと申します」という最初の自己紹介から、とてもよく声が出ていたように思います。

三島 一発目、いい声が出て、最初のつかみで「合コン……豪華なる金色堂の略」「それ、中尊寺」というところがあるんですけど、そこの返り(笑い)が割とあったんで、僕はそこから一気に自分の領域に飛び込めた感じがしましたね。

南條 確かにネタの出来は一番よかったと思いますわ。

――ただ、一度、南條さんは、小鼓を叩き損ねたんですよね。

南條 はい、紐が革の前に垂れていて、一緒に叩いてしまったんです。そうしたら、変な音になってしまって……。

――あれは、やっぱり調子が狂うものですか。

南條 むちゃくちゃ狂います。いちばん大事なところで“ツッコミ噛む”ぐらいの感覚ですよ。うまく鳴らないと、お客さん、ほんまに笑わないですから。あの時も変な空気になって焦りましたね。ただ、そのあとはネタに集中できたので、そこまでの大怪我にはなりませんでしたけど。

「みなさま、よいお年を!ポンっ!」
――結果3位になって最終決戦のための「暫定ボックス」に席を確保したわけですが、直後、からし蓮根に抜かれてしまいました。スタジオを去る時の「みなさま、よいお年を! ポンっ!(小鼓の音)」が素敵でしたね。

南條 あっこだけは、5日前ぐらいから考えてたもんな。

三島 負けたとき、なんて言おうかって。

――一昨年のように大会が12月頭だとちょっと早過ぎますけど、22日と年末の空気感になっていたので見事にはまりましたね。

南條 そうそう。ちょい早ぐらいで、今田さんに「いやちょっと早いです、締めるのが(笑)」と突っ込まれて。ネタだけでなく、今田さんや審査員との絡みも込みで見られてる感じがしたんで、そこがすごい不安やったんですけど、うまいこと切り抜けられましたね。

文春

史上最高と言われる2019年のM-1。なぜあれほどの“神回”になったのか。出場した漫才師の連続インタビューでその答えに迫っていく。

能や狂言を取り入れた漫才で大きなインパクトを残した「すゑひろがりず」。彼らが目撃した神回の舞台裏とは?

「ミルクボーイさんはずっとネタ合わせしてました」
――舞台裏の話もうかがいたいのですが、楽屋はみなさん一緒なのですか。

三島 一緒です。けっこう、和気あいあいとしてましたね。

南條 初出場組が7組いたので、その分、空気がやわらかかった。常連のかまいたちさんと、2度目の見取り図とかは、ちょっと違う空気を発していたと思いますけど。

――放送は6時34分からスタートでした。

南條 オープニングのところは、まだ楽屋でモニターを見てるんですよ。

三島 1組目のネタが始まるのが7時10分ぐらいなんですけど、その直前にスタジオに入るんです。そのあたりは、みんなさすがにピリついてましたね。ただ、1組目にニューヨークが呼ばれると、「がんばれよ!」という雰囲気があって。戻ってきても「よかったで」と。ほかのコンビのときも同じでした。全員がライバルであり、仲間でもあるという感じなんです。

――セットの裏側で順番を待っているときは、他のコンビともけっこう会話をしたりするもんなんですか。

南條 する人はしてますね。あとは、それぞれネタ合わせをしたり。ミルクボーイさんはずっとネタ合わせしていた印象がありますね。合間ができると、壁に向かって小声で合わせたり、裏の方に行って練習したり。

「あれはM-1史に残る名言ですよ」
――1番手のニューヨークは、松本人志さんに「ツッコミが笑いながら楽しんでいる感じがあんまり好きじゃない」と言われ、まだ講評の途中であるにもかかわらず、屋敷裕政さんが「最悪や!」と噛みつきました。軽くキレたかのような返しだったので、会場が変な盛り上がりを見せました。

南條 あれは屋敷のファインプレーでしょうね。

三島 マジの気持ちもあるし、あのまま引き下がったら自分たちは何も残せないと思ったんでしょうね。魂のひと言ですよ。

南條 屋敷は、ああいうところで噛みつきそうなキャラでもあるんで、いいプレゼンにもなった。芸人の先輩方も、ニューヨークの平場(ひらば=普通の会話の部分)での絡みはすごく評価してましたね。大会全体の流れで言えば、あの一言がつかみになったと思う。

三島 M-1史に残る名言ですよ。

――すゑひろがりずは、5番手のからし蓮根と入れ替わる形で4位となり、上位3組が座れる暫定ボックスを追われました。控え室に戻った時は、そのニューヨークだけがいたわけですね。

「ニューヨークは控え室でモニター見ずに、スマホいじってた(笑)」
南條 2人ともゼロの状態になって、スマホ見てました。「はいはい、終わり」みたいな感じで(笑)。

三島 モニターすらも見てない。モニターくらい見ろよと(笑)。

南條 でも、その気持ちはわからないこともない。僕も、楽屋に戻ってからはマジで何も考えられなかった。放心状態というか、あー、終わったーみたいな。LINEがむちゃくちゃ来てたんで、それをぼんやり眺めてましたね。

――三島さんも、そんな感じでしたか。

三島 僕は喫煙所でタバコを吸ってました。他のコンビのネタは、以前に、割と見てましたし。ウケてる声が聞こえてきたら、あー、まだやってんのや……みたいな感覚で。

ミルクボーイは「笑いの神様が降りてきたウケ方」
南條 ただ、(7番手の)ミルクボーイさんのときは、さすがに携帯を操作する手が止まりました。受け方が尋常じゃなかったんで。1つボケてツッコむごとに拍手笑い(拍手しながら笑うこと)でしたもんね。

三島 あの時だけは全員がモニターを食い入るように見てて、こら優勝やろ、みたいな感じでした。笑いの神様が降りてきたウケ方です。

――1位かまいたち、2位和牛の順位は確かに盤石に思えましたが、まだミルクボーイが控えているからわからないなみたいな感覚はなかったんですか。

三島 僕は2人のネタを見たことがなかったんで。噂だけは聞いていましたけど。

南條 『GYAO!』の予選動画を見た人たちが、口々に「ミルクボーイは決勝に行くやろ」みたいな言い方をしてたんで、意識はしていましたけど、ここまでウケるとは正直、思っていませんでしたね。

――序盤、かまいたち、和牛であれだけ盛り上がって、中盤以降、それを超える盛り上がりが待っていた。演出ということで言えば、これ以上ない展開ですよね。

三島 笑御籤(えみくじ)、すごいなと。ほんまに神さまが宿ってるんだなって思いました。

南條 あの順番……。

――実際、どうでしたか、笑御籤という方式は。

和牛さんは「戦い切った男の顔でした」
三島 やる前は、ほんとに嫌やなと思っていたんです。直前で決められるなんて。でも、やってみたら、「神の手」を感じましたね。

南條 人の意志が入ったら、あんな順番にしないですよ。しかも、ミルクボーイで今度こそ、ほんまに終わりやと思いましたからね。

――まだ、ありましたね。ラスト出番のぺこぱが、和牛を抜き3番手に上がるという、まさかの大逆転劇。

三島 ニューヨークからリレーしてきたバトンが最後のぺこぱまできちんと渡ってたんですね。

――和牛が4位に転落したことで、和牛さんも最終決戦を前に、楽屋に戻って来たわけですね。

三島 カッコよかったですよ。お疲れさまでした、と。堂々と戻ってきましたから。あの時の2人の表情はいまだに焼き付いてますね。

南條 悔しいみたいな感じじゃなかった。もちろん、内心は、めちゃめちゃ悔しいと思いますけどね。

三島 戦い切った男の顔でした。

南條 ほんま、悟ってるぐらいの。

文春

史上最高と言われる2019年のM-1。何が神回を作ったのか。出演した漫才師たちへの連続インタビューで解き明かしていく。

一風変わった雅やかな雰囲気で大会を盛り上げた「すゑひろがりず」。彼らはいかに狂言風漫才に辿り着いたのか? そして大舞台を経験した今思うこととは?

「全員がすゑひろがりずの決勝はないと思ってた」
――そもそも、すゑひろがりずに関しては、M-1では圧倒的に不利だと思っていました。和装に小鼓となると、M-1のような本寸法の漫才コンテストでは、どうしてもイロモノに見られがちじゃないですか。正直なところ、よく決勝の舞台に選ばれたなと。

南條 それは僕らも思いました。そこを打ち破りたいと思いつつやってはいましたけど。

――決勝進出者の発表のとき、お2人は最後の9組目に呼ばれたんですよね。8組目までに自分の名前が呼ばれなかったときは?

南條 まあ、そうやろな、と。もうないと思ってました。ほんとに。

三島 和牛さん、アインシュタインさんもまだ呼ばれていなかったので、どちらかだろうと。

――それだけに名前を呼ばれたときはびっくりされましたか。

南條 びっくりですよ! どこからか、えっ? って声が上がってましたから(笑)。

三島 あそこにいた全員が、すゑひろがりずはないと思ってたと思うんで。

M-1に漂う“テツandトモ”トラウマ
――鳴り物を使う決勝進出者は2002年、第2回大会に出場したテツandトモ以来でした。そのテツandトモは、当時、審査員を務めていた立川談志に「お前らはここに出てくるやつじゃないよ。もういいよ」と、ある意味で、場違いだと宣告された。そのトラウマが今もM-1にはあると思うんです。

三島 あの時のシーンは過ぎりましたね。直系のお弟子さんである(立川)志らく師匠が審査員にいらっしゃいましたからね。でも、志らく師匠も92点で、まあよかったみたいな感じだったので安堵しました。

――先ほどイロモノのように見られると言いましたが、じつは、漫才のいちルーツと言われる江戸時代に流行した三河万歳は、お2人のような形だったわけですよね。和装で、小鼓と扇子を持って、祝いの席でお祝いの言葉を唱えるという。じつは邪道どころか、王道と言ってもいい。

南條 のちに調べて知ったことなんですけどね。やり始めたときは、そんなことまったく考えていなかったので。

――すゑひろがりずは、もともとトリオだったのが、11年に1人が抜けて現在の2人になった。

「29歳やし、もう解散や」からの「狂言風クリスマス」
南條 あの頃は、暗黒時代ですよ。2人で再出発した時、もう29歳でしたから。ラストチャンスやと思ってたのに2人になってもうまくいかず、「もう解散や」ってなって、劇場のオーディション受けるとき、じゃあ、最後やし、ちょっと変わったネタでもやるかみたいな雰囲気になったんです。それで、ノリでやった「狂言風クリスマス」というのがけっこうウケて。そのときたまたま一緒に出たミルクボーイの駒場(孝)さんからも「自分ら、それ本ネタにしたほうが良いで」って言われて。そこから寿命を延長、延長、延長してきたみたいな感じなんです。

――狂言風の漫才にたどり着いたのは、何かきっかけがあったんですか。

南條 何もないです。ライブの日がクリスマスやったんです。で、クリスマスのショートコントやろうかみたいなん言ったときに、ポッと。狂言クリスマスってどやみたいな。

三島 南條は最初から狂言っぽい言い回しがうまかったんです。いよ~みたいな。

南條 適当にやったら、それがすごいウケて。オーディションにも受かって、2人ですぐに着物を買いに行きました。

小鼓ポンッは「サッカーのPKみたいなもん」
三島 小鼓を買ったのは、その1年後ぐらいですかね。

南條 アマゾンで買ったんですけど、これ、なかなかいい音が鳴らないんで、めっちゃ練習しました。

――(試しに記者も叩かせてもらうが、音がまったく響かず)あっ、難しい。音が割れちゃいますね。

南條 マジで難しいんですよ。これ、絶対、書いといてください。

――みんな簡単に鳴るものだと思ってますよ。

南條 そうでしょ。ネタの後で、ポンッていい音を出すの、じつは高等技術なんです。最初、「すゑひろがりずと申します」って自己紹介した後にポンッって鳴らすんですけど、一発目のポンがいちばん緊張する。そこで外したら、いきなり変な感じになりますから。M-1決勝で登場のときに階段を下りながら叩いたのも、じつは、自己紹介に入る前に、試しに叩いておきたかったというのもあるんです。

――サッカーのPKみたいなもんなんですね。練習ならいくらでも入れられるけど、いざ試合になると緊張から外すこともあるという。

南條 ほんま、それですわ。

――準決勝、決勝で、すゑひろがりずは合コンのネタを披露しましたが、3回戦、準々決勝は違うネタでした。合コンネタは準決勝まで温存しておいたのですか。

南條 いや、合コンのネタは、いちばんやり慣れてはいたのですが、けっこう動きのあるネタでマイクから離れちゃうんで、使うのを控えてたんです。

三島 細かい話なんですけど、準々決勝会場のニューピアホール(竹芝)は、けっこう広くて、センターマイクに声をちゃんと入れないと客席に伝わらないと思ったんです。なので、ニューピアホール用に動きの少ないネタを一つ作っていて、それで準々決勝を突破できたんです。

南條 今年の目標は、準決勝進出だったんです。なので、そこでひとまず目標を達成できた。それで、さて、次のネタ、どうしようかなと。そうしたら、周りの人に、合コンのネタがあるやんみたいに言われて。ただ、準決勝もニューピアホールだったので、マイクからあんまり離れないよう、ニューピア仕様に仕上げ直したんです。結果的に、それが当たりました。

「嫁さんには14年分、恩返しせなあかん」
――ちょっと話は変わりますが、お2人とも結婚されているんですよね。

南條 そうなんです。

――決勝に進出したことで、2人ともバイトを辞め、今は芸人としてのお仕事に専念できる環境が整ったと聞いております。奥様はさぞかし喜んでいらしたでしょうね。

三島 ほんと喜んでましたよ。

南條 僕は嫁さんとは芸人になる前から付き合っていて、14年間、頼り切りだったんで。これから14年分、恩返しせなあかんとは思ってるんですよ。

――『M-1アナザーストーリー』(朝日放送)の最後のシーンで、ミルクボーイの駒場さんが、奥様に、両親が大喜びしている動画を見せてもらって号泣するシーンがあったじゃないですか。今回出場したコンビには大なり小なり、同じような物語があったんでしょうね。

南條 あのシーンは芸人は全員、泣いたんじゃないですか。

三島 売れているごく一部の芸人を除いて、全員、あれなんですよ。

 

すゑひろがりず/三島達也(ボケ・扇子担当)と南條庄助(ツッコミ・小鼓担当)のコンビ。三島は1982年10月2日大阪府出身。南條は1982年6月3日大阪府出身。大阪NSC28期の同期生。

別々のコンビを経て2011年に結成。14年、東京に活動拠点を移す。14、15年にキングオブコントで準決勝進出。コンビ名は当初「みなみのしま」だったが、芸風に合っていなかったため、16年に和風でめでたい意味を込めた「すゑひろがりず」に改名。16年、18年にM-1準々決勝進出。19年初のM-1決勝で8位に。

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