本田圭佑を直撃取材。「中学から 人生の逆算の方程式はできていた」
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昔のコラムでも本当にかっこいい。東京オリンピックで引退するだろうから、是非出場してもらいたい。
大一番で結果を残すのは、結局、本田圭祐しかいない。森保さん頼みます。
日本を盛り上げるために、本田圭祐と久保建英の共演を!!

コロナ禍で多くのスポーツが延期や中止されるなか、Number Webでは、『Sports Graphic Number』の過去の記事のなかから、「こんなときだからこそ読んで欲しい」と思う記事を特別公開します! 今回は「783号 非エリートの思考法。」(2011年7月21日発売)に掲載された「本田圭佑 『俺の辞書に“安定”の文字はない』」を前後編に分けて配信します。ガンバのユースに上がれなかった男が、いかにして日本代表のエースにまでなったのか。本文にあるように「変わりたいって思っている人に役立つような」話が満載です。
<後編「本田圭佑が語る。カッコつける理由、『嫌なこともやる』、『自助論』。」は記事最終ページ下の「関連記事」からご覧になれます。>
助手席のドアを開けると、運転席で本田圭佑がハンドルを握っていた。白い短パンに、白い麻のシャツ。足元は革のサンダルだ。いつものように両腕に時計を巻き、サングラスをかけている。

6月中旬、モスクワ郊外のCSKAの練習場──。

本田が運転する真新しい四駆に乗り込むと、やわらかい香水の匂いに包み込まれた。

本来ならば練習場で取材する場合、クラブハウスの出口で待って、車のドア越しに質問するのがパターンだ。

だが、この日本代表のエースにとっては「いつもどおり」では刺激も、おもしろみもないのだろう。車の横から今回のテーマである「思考法」について聞きたいと交渉すると、驚くような提案をしてきた。

「ちょっと時間がないんで、家に帰りながら車で答えてもいいですか?」

断る理由などあるはずがない。慌てて待たせていたタクシーに残金を払い、助手席の側にまわった。

想定外が起こることも、自分にとっては想定内。
「参考までに、家までどれくらい?」

「30分くらい。まあ、道が混んでいたら、もっとかかりますけど」

この日ばかりはモスクワ名物の渋滞が頼もしい。本田がシフトレバーをドライブに入れるのとほぼ同時に、録音機のスイッチを押した。

――去年取材したとき、2010年W杯のカメルーン戦のゴールもデンマーク戦のゴールも想定内だったと言っていた。本田くんにとって「想定内」とはどんな概念?

「すごいシンプルで、僕は常に『想定外も起こりうるだろう』って考えている。たとえば試合前に100の準備をしたとする。でもプラスアルファで20何かが起こるだろうって心構えをしておくわけ。当然、それが何かはわからないけど、とにかく何かが起こるだろうと。だから、想定外が起こることも、自分にとっては想定内なんです」

「安定」という言葉は僕の辞書にはない。
――完璧な準備をする一方で、さらに何かが起こると考えておくと。

「そうすればもし想定外が起こったとしても、気持ちを切り替えやすい。試合で予想が外れるなんでざら。想定外の困難に負けずに、勝利に向かって走り出すっていう心構えを作ることが重要だと思う」

モスクワの道路はやはり混んでおり、すぐに渋滞につかまった。だが、本田は隙間を見つけるとぐいぐい車線変更していく。高速道路の入口では長い車列をすっ飛ばし、ぎりぎりまで近づいてからスッと列に入り込んだ。

これまでいろんな選手の車に乗ったが、最も運転が力強く、勢いがある。

――これまでの日本ではいい学校に入って、いい会社に就職するのがエリートとされてきた。でもビジネスの国際化が進み、そういう安定志向の人材は通用しなくなってきたと言われている。本田くんは「安定」という言葉についてはどう思う?

「安定って言葉は、これまで生きてきてあんまり使ったことがないし、聞いたこともないですね。僕の辞書にない言葉です」

人生は上がるか、落ちるかのどちらか。
――辞書にない?

「だって、人生は上がるか、落ちるかのどちらかでしょ。安定っていうのは横棒の状態のことを言ってるんでしょ? 誰かがそれを安定と呼んだだけで、僕からしたら横棒というのは下に落ちているわけで」

――確かに安定は、あとから見たら落ちているのかもしれない。

「そう。ただ、勘違いしちゃいけないのは、下に落ちるっていうことが、進化してないということではないんですよ。下に落ちるのも、次に昇るための変化かもしれない。昇るために、落ちることが必要なこともある」

――今は谷だから、次はこういう山にしようというイメージがあるということ?

「それがイメージできたらすごいけどね。大抵は自分が今から谷に向かっていますって受け入れられるものではない。トンネルをくぐっていて、それが山なのか谷なのか、いつ抜けられるかもわからない。でもなんとか、その真っ暗なトンネルを抜けたくて必死に進むわけですよ。大事なのは、その辛い時期を残念と思うのか、自分にしかできないチャンスだと思うのか、っていうところだと僕は思っている」

どんな壁にぶち当たっても、絶対に越えてやる。
本田がかけていたサングラスを外して、シャツの胸元に挿した。言葉にいっそう熱がこもる。

「だから大事なのはね、現状を自分でどうとらえるか。これまでずっと自分を奮い立たせてやってきたし、いるんな面から困難に向かうことを経験してきた。どんな壁にぶち当たっても、絶対に越えてやろうと思っている」

2010年1月、本田はオランダのフェンロからCSKAに移籍した。あれから約1年半が経過したが、まだ次のステップヘの具体的な道筋は見えていない。

しかし、トンネルを突き進む経験こそが、新たな上昇曲線につながることを本田はこれまでの経験から知っているのだ。

実際、今、本田は急激に調子を上げ始めている。5月のロシアカップ決勝で決勝点をアシストしたのを皮切りに毎試合のように得点に絡み始め、CSKAが首位に立つ原動力になっている。2位アンジとの大一番ではゴールも決めた。

この車に乗り込んだ日は、ちょうどそのアンジ戦の翌々日だった。

敗戦後はどう気持ちを切り替えている?
――最近の好調の理由は?

「あえてあげれば、足首の痛みがなくなったことかな。アジアカップで痛めて、ヨーロッパリーグのFCポルト戦でもひねった。その痛みがなくなってきている。まあ、点が取れるか取れないかは紙一重だから、ゴールが決まらなくても悲観はしていなかったけどね」

――誰だって試合に負けたら落ち込むと思う。敗戦後はどう気持ちを切り替えている?

「勝っても負けても、必ず次の週に試合のDVDを見直すようにしている。ただ、試合当日はプレーについては触れないようにしている自分がいますね。で、翌日から話をするようにしている」

――それはなぜ?

「試合後って、まわりが僕以上に気を遣うでしょう。結果が良かったにしても、悪かったにしても。良かったら『おめでとう』ってオレ以上に喜ぶし、負けたらオレ以上に悔しがっているから。心配かけたらあかんなっていう自分がいるんでしょうね、本能的に」

─―でも翌日からは、自分から試合の話をすると。

「次の日になると、まわりがそこまでホットじゃないわけですよ。まあ、結局は人ごとですから(笑)。だから、オレは翌日から試合の話をする。『どうやった?』とか、意見を求めたりね」

大事なのは、客観的に自分を見ること。
――それは自分の考えを整理するために?

「やっぱり大事なのは、客観的に自分を見ることだから。誰しも自分を客観的には見にくいからね」

――本田くんでさえ?

「難しい。自分を客観視するために、とりあえずみんなに訊く。自分のイメージどおりのときもあるし、聞いていてイラっとすることもあるし」

――腹が立つのにあえて訊くとは。

「自分のイラっとした感情なんて関係ないから。大事なのはそこじゃないでしょ。僕自身は真実しか興味のないタイプなんでね。偽って生きてもしゃ―ないでしょ」

――慰めてほしい人もいると思うよ。

「自分の心を慰めたいっていう気持ちがわからない。なんでなの?」

――やり切れないから。

「なんでやり切れないのよ? じゃあ駄目な自分がいたとしよう。なんで駄目な自分がいたら駄目なのか? それでいいじゃないですか。まずは自分の能力を知らないと、前に進めるはずがない」

ガンバユースに落ちて、ストーリーが崩れた。
気がつくと本田はサンダルを脱ぎ、左足をハンドルのすぐ横のダッシュボードに乗せていた。右足はアクセル。左足はダッシュボード。こんなラフな運転スタイルは見たことがない。いかにも破天荒な本田らしい。

――若い時に比べて、自分の考えは変わったと思う?

「うん。自分で言うのもあれだけど、高校時代はヤンチャだったと思うんで(笑)。無茶するっていうか、どうにかして成り上がったろっていうタイプだったので。今も生意気ですけども、昔よりは人を立てられるようになったと思います」

――高校時代は先輩を立てなかった?

「むしろなぜ立てる必要があるんだ? って思っていましたからね。俺の方が上やって。今はオレが上ってわかっていても、立てるっていう優しさはちょっとはある。さすがに僕も学んできましたよ」

――中学卒業時に本田くんはガンバ大阪ユースのテストに落ちてしまった。けれど、もし合格しても、行くつもりはなかったという記事を読んだことがある。

「確かにガンバのユースには、受かっても行かないつもりでしたね。でも、受かって行かないというのをやりたかったのに、落ちちゃったからね。自分が描いたカッコいいストーリーが崩れてしまった(笑)」

中学から海外に出る道を描いていた。
――なぜユースは受かっても行かないつもりだった?

「すごいシンプル。当時、ユースってプロに行ける可能性が低かったと思うんですよ。オレはプロになるという日標から逆算して、そのためには子供ながらに高校選手権に出ないといけないと思った。選手権に出て大活躍すれば、プロのスカウトの人の日に留まるから。そういうことを中学1年生のときに考えて、高校サッカーの方に行くって決めていた」

――そんなに早い段階で。

「そうそう。今みたいな状況であれば、ユースもありだなって思ったかもしれないけど」

――中学生のときは毎日がむしゃらに練習して、そういうことを考える余裕はない気がする。思考のゆとりはどこから?

「ゆとりなんてなかったよ。本当にサッカーのことだけを考えていたから。でも、今考えると、逆算の方程式はできていたね。日標から遡って何をすべきかっていう。選手権に出て、プロになって、海外に出るっていう道は、中学生のときに描いていたわけだから。まあ、これは親父の影響だよね。親父の教育が今考えたら大きかった」

僕は小学校からなんでも1番だった。
──父親から逆算しろと言われた?

「いや、親父は『これをしろ』とは絶対に言わなかった。ただひとつだけ『なんかするなら絶対に1番にならな話にならん』って。ホンマそれだけ。具体的にこうしなさいって言われたことは一度もない」

――とにかく1番になれと?

「サッカーだけじゃあかん。バスケでもバレーでも、野球でも、なんでも1番になれって。だから僕は小学校からなんでも1番だった」

――じゃあガンバユースに落ちたのは心の傷にならなかった?

「いや、でもねぇ……やっぱり傷ついたし……悔しかった! 悔しくてしょうがなかった。それこそ当時、自分よりも上手いやつがいるってことを認めようとしなかった。オレの方が全然上やんって。ガンバの指導員はホンマ見る目がないやつやんってね」

――そういう悔しさは原動力になった?

「もちろん、そうですよ。やっぱり人間って誰しもそういうコンプレックスを抱えながら生きていると思う。で、自分でモチベーションをあげて、奮い立たせる。自分を支えるのは自分しかいないから」

ずっこけ方を早いうちから学ぶべき。
――早い段階での挫折っていうのはエネルギーになる。

「そうだね。このたとえでふさわしいかわからないですけど、子供の頃悪いやつは大人になるといいやつになるってよく言うじゃないですか。それと一緒で、挫折をわかっている人間は、何が本当の成功なのか、どうやったら挫折を乗り越えられるのかをわかっている気がする。逆に順調に来たやつは、大人になってずっこける可能性がある」

――きっとその不安が安定志向につながるんだよね。

「ずっこけない成功なんてないんですよ。ずっこけ方を早いうちから学ばないと、あとで立ち直れなくなる」

──転んだ経験のある人の方が、のちに這い上がる可能性があると。

「最近、サッカー界でも多いでしょう? ユウト(長友佑都)もそうだし、オカ(岡崎慎司)もね。オレらの世代はそういうコンプレックスを抱えてる」

谷間世代だとは思っていない。
――谷間世代だと?

「谷間世代だとは思っていないですよ、僕は。その前にすごい世代がいなきゃ谷間にはならないでしょ。その前にいた誰がすごい世代なの? 日本人で誰がすごいのか教えてくれって思っているから」

――確かにそうだ(笑)。北京五輪もいい挫折になった?

「もちろん。あれはあれでやっぱり悔しかったし」

――心の傷には?

「傷にはなっていない。あれは負けたなんて自分では認めていないしね。オレはあのあといろいろ言われたけど、あんなの(オランダ戦でバベルを倒して与えたPK)は未だに審判のせいだって思っている。PKなんでなかった。負けてなんかなかった。試合に負けたのは事実だけど、負けていないっていう気持ちは大切にしようって思っているから」

――それは面白い発想だ。挫折を歓迎はしているけども、挫折を負けたと思っていないということ。

「結果的には挫折だけども、気持ちではくじけてない。気持ちは一切折れてない」

(Number783号[ガンバユース不合格→日本代表のエース]「本田圭佑『俺の辞書に“安定”の文字はない』」より)

ワールドカップ三大会連続得点、ACミランで10番を背負った男

profile

本田 圭佑(ほんだ けいすけ、1986年(昭和61年)6月13日 – )は、大阪府摂津市出身のプロサッカー選手。サッカー指導者。日本の実業家。サッカークラブ経営者。ポジションはFW・MF。元日本代表。カンボジア代表監督・GM。

オランダ・ロシア・イタリア・メキシコ・オーストラリア・ブラジルなど様々な国のクラブに所属。イタリアでは名門ACミランに所属し背番号10を背負った。

日本代表としても活躍し、アジア人初となるW杯3大会連続アシストを達成。また、日本人初となるW杯3大会連続ゴールを達成しアジア人のW杯最多得点を更新した。ルディ・フェラー、デイビッド・ベッカムらに続くW杯3大会連続となる得点とアシストの両方を記録した史上6人目の選手となり、32歳11日でのゴールは日本人のW杯最年長ゴールとなった[3][4]。FIFA選出のW杯のMOM数において日本人最多の「4回」受賞し、ミロスラフ・クローゼ、エデン・アザール、ハメス・ロドリゲスらと並び受賞総数5位である[5]。

2010年には日本人選手として2人目となるUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされており過去には小野伸二(2002年)も選出されている。

指導者としても現役選手ながら実質的なカンボジア代表監督兼GMに就任。また、自身がプロデュースするサッカースクール「SOLTILO FAMILIA」を日本全国で開校[6]。

経営者としても複数のプロサッカークラブの実質的オーナーを務めている[7]。

投資家としてはウィル・スミスと共同で投資ファンド「ドリーマーズ・ファンド」を設立[8]。

何故好きか

とにかく昔から、好き。勿論プレーも好きなのだがビックマウスな所も好きだし、常人離れした行動もいつもワクワクさせてくれるし楽しい、勿論全てが上手くいっているわけでは無いだろうが、そんなところも良いと思う。

最近で一番好きになった話は、ロシアワールドカップでスタメンを外されても必死にチームの為に動いていた事、そして結局、点を入れているところ、スパースターだ。賛否両論ある選手だが、ワールドカップ三大会連続得点を取っている。世界でもそうそういない偉業です。

後はビジュアルです。私服などは別にかっこいいとは思いませんが、ユニフォーム姿がとにかくかっこいい、絵になります。やはり特にミラン時代は最高でしたね。強さは別にしてあのACミランの10番を日本人が本田圭佑がつけている、最高でした。

 

各スポーツ続々再開中!!
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