大迫傑が将来の陸上界に描く青写真 「日本人はまだまだ速くなれる」
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レジェンドになる人は考えていることが他の人と違う、良い悪いは置いといて、こういう人が存在していかないとダメ。期待しています。

 3月1日の東京マラソンで自身が持つ日本記録を21秒更新し、東京五輪・男子マラソン代表に内定した大迫傑が、スポーツナビの単独インタビューに応じた。後編は、来夏に延期が決まった東京五輪に懸ける思いや構想中の育成プロジェクト、創設するマラソン大会を中心に、話を聞いた。

東京五輪での戦い方は?

──新型コロナウイルス感染拡大の影響で、東京五輪は今夏開催が見送られ、来夏に延期されることになりました。日本記録保持者の大迫選手には“メダル”が期待されています。

それはうれしいことだし、メダルのチャンスがないとは思っていません。いかに自分らしいレースができるか。能力を最大限に発揮して、チャンスを拾えるレースを展開することが重要になってくると思います。

──中本健太郎選手(安川電機)はトップ集団についていかない戦略で、ロンドン五輪で6位、モスクワ世界選手権で5位に食い込んでいます。大迫選手もボストン、シカゴ、東京マラソンというメジャーレースで上位に入っていますが、これまでのように“順位”を意識したレース運びをすることで、メダルには十分近づけると思います。

そうですね。中本選手の走りを見て、そう決めたわけではありませんが、トップ・オブ・トップの選手と真っ向勝負をするのは現実的ではないと思います。

──2時間1分39秒の世界記録を持つエリウド・キプチョゲ選手(ケニア)は、非公認レースでサブ2(2時間切り)を達成しました。大迫選手も「いつかは達成したい」という思いはありますか?

それもトラックと一緒(前編を参照)で、僕の力には限界があると思います。だからこそ、スクールや育成プロジェクトを立ち上げて、僕ができなかったことを後輩たちに託したい。僕が苦労して到達したところまで簡単に行けるようになれば、その先に進める選手が必ず出てきます。その可能性にチャレンジしたいです。だから、これから続く選手たちのためにも、まずは自分の限界をもっと超えていきたいし、同時に育成プロジェクトも進めていきたいと考えています。

“新しいピラミッド”を作る必要性

──育成プロジェクトについては、どのような構想を描いていますか?

ケニアにアカデミーのようなものを設立する予定です。対象は日本、もしくはアジアの高校生、大学生、若手選手。僕がここまで強くなるだけで、すごく時間がかかったし、日本人がアフリカ系の選手と対等に勝負していくのは並大抵のことではありません。僕が日本と米国で学んだこととケニアの環境を生かして、育成していきたいと考えています。

──ナイキ・オレゴン・プロジェクトの日本版というイメージでしょうか?

コンセプトは一緒だと思いますが、もっと広い視野で育成していきたいと思っています。

──日本の陸上界には“実業団”という独自のシステムがあります。実業団駅伝があるからこそ、マラソンの選手層は厚くなりましたが、記録的に突き抜ける選手が出て来ません。

実業団は企業名を広めて、ブランド力を高めるために駅伝をやっているところが大半です。大学も駅伝の取り組みが中心です。企業や大学側は駅伝での活躍を求めているので、たとえ指導者が「世界で戦うためにこんなことをしている」と言っても説得力が薄いのが実情です。また、チームが目指すものと選手が目指すものがイコールにならないと、限界が生じてしまいます。僕は“新しいピラミッド”を作る必要性を感じていて、そのための第一歩として、ケニアはすごく良い場所です。

──実業団を頂点とする既存のピラミッドの、さらに上層の部分を作っていくというイメージですか?

違います。実業団を頂点とする既存のピラミッドとは別のピラミッドが最終的にできたらいいなと思っています。実業団に所属する駅伝の選手が、こちらのピラミッドに来てもいいし、その逆もあるかもしれません。

──選手は実業団チームと大迫選手が立ち上げるプロジェクトの間を、自由に行き来できるというわけですね。

はい。戻れるところがあるのはとても大事なことです。あと教育として考えたとき、日本の育成システムは選択肢が少ないと思います。交換留学みたいな形でケニアに行くとか、高校・大学時代に海外を拠点にするのも将来的に生きてくるはずです。選手に新たな選択肢を作ってあげたいですね。

──こういう発想は、世界を知る大迫選手だからこそできることだと思います。

僕自身のキャリアを振り返ってみても、選択肢が非常に少なかった。後輩にそういう思いをさせたくないという思いもあります。

──大迫選手はマラソン大会を創設する意向を表明しています。決まっていることがあれば教えてください。

大会については僕が契約しているアミューズや、所属しているナイキにも協力してもらい、少しずつ進めている状況です。“日本と世界の差を縮めること”が大会のコンセプトで、42.195キロのレースを行う予定ですが、詳細についてはまだ決まっていません。

──キプチョゲ選手が2時間切りを目指した「Breaking2」「INEOS 1:59 Challenge」のような非公認レースになるのでしょうか?

詳細はまだ言えませんが、そういうレースになると思います。競技の見せ方にもこだわっていきたいです。選手ファーストでありながら、野球やサッカーのように観客も盛り上がって、見ていて楽しいというか、ワクワクするようなイベントにしたいと思っています。

大切なことは“自分のために走ること”

──大迫選手は「日本人はもっとできる」という思いを以前から持っています。

そうですね。ただ、やり方は再考しなければなりません。ワールドマラソンメジャーズ(東京、ボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークシティマラソン)は、アフリカ系のトップ選手を基準に作られています。そこに乗っかっているだけでは、彼らとの差は開くばかりです。アジア系の選手は立ち上がる必要がある。だから僕は、僕らアジア系選手のための大会を作って、トップ選手との差を縮めたい。その思いが大会創設の根幹になっています。

──ただ単にケニアに行けばいいわけではなく、あくまでも日本人には日本人のやり方があるというわけですね。

そうです。これは僕らがもっと速くなるための大会なんです。ただ、大会創設に向けて動き始めたとき、僕の力だけでは何もできないということを痛感しました。予算の組み方ひとつとっても、知識がなかったですから。周囲の方々に協力してもらいながら、少しずつ進めています。

──大迫選手は日本人選手が世界で勝つために、何が必要だと思いますか?

すごく漠然とした答えになりますが、“自分のために走ること”だと思います。もちろんチームのために走ること、仲間のために走ることもときには必要ですけど、もっと大きな流れに乗ることが大切です。最初は小さな流れかもしれませんが、自分のためにそこに乗っていくということです。

──ところで、東京マラソンが終わった後、SNSにアップされた設楽悠太選手(Honda)との笑顔のツーショット写真が話題になりましたね。

マラソンは個人種目ですけど、世界と戦うためには皆で協力していかないといけない。そう考えると、一緒に戦ってくれる選手たちはライバルでもあり同志でもあります。

──大迫選手の活躍もあって、マラソンの注目度は確実に増していると思いますが、大迫選手の言動からは、マラソンをもっとメジャーなスポーツにしたいという強い思いを感じます。

小学生のときは駆けっこが速いだけでモテますよね。だけど、ある時期から野球やサッカーがうまい子に人気が移ってしまう。陸上競技はもっとブランディングを意識する必要性があると感じています。人気種目になれば、良い選手が集まりやすくなるし、もっと盛り上がっていくと思います。

──東京五輪後のプランはどのように考えていますか?

2024年パリ五輪の可能性もあると思います。ですが、まずは目の前の大会を一つ一つ戦っていかなければ、先は見えてきません。その戦い方次第で決まってくるのではないでしょうか。

──最後に、大迫選手が走ることに対して今抱いている、最大の夢を教えてください。

“誰よりも速く走ること”です。これは僕が陸上競技を始めたときからの目標で、今も変わりません。あとは陸上競技の世界をもっと価値あるものにしていきたいです。「陸上? きつくてストイックなんでしょう」と思われるのではなくて、「陸上やっているの? かっこいいね!」とリスペクトされるようにしていきたい。それが僕のミッションなのだと思います。

大迫傑(おおさこ・すぐる)
1991年5月23日生まれ、東京都出身。中学から陸上競技を始める。佐久長聖高では、2年連続の区間賞に輝き、2年時には高校駅伝チーム初優勝に貢献。早稲田大へ進学後も箱根駅伝で2度の1区区間賞獲得など注目を集めた。卒業後は日清食品グループに入社し、2015年にナイキ・オレゴン・プロジェクト入り。2017年に初マラソンに挑むと、2018年のシカゴマラソンで日本新記録を樹立。2020年3月の東京マラソンで2時間5分29秒の日本記録更新とともに東京五輪マラソン代表に内定した。現在はナイキ所属、プロランナーとして活動中。

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