大迫傑、独占インタビュー 限界への気付きが拓いた未来
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第一人者はやはり違う、大学から好きな選手だったけどここまでなるとはビックリ。伸びない、目立たない選手が多いなか素晴らしい

3月1日の東京マラソンで自身が持つ日本記録を21秒更新し、東京五輪・男子マラソン代表の最後の1枠を獲得した大迫傑。2度目となる日本記録を樹立して勝ち取った大迫が、スポーツナビの単独インタビューに応じた。前編はこれまでのキャリアをひも解きながら、ターニングポイントで彼が抱いた思いをつづっていく。

MGCへの評価は東京五輪の結果次第
──3月8日のびわ湖毎日マラソンで、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)ファイナルチャレンジの全日程が終了し、大迫選手の東京五輪男子マラソン代表が内定しました。改めて今の気持ちを聞かせてください。

「すごくホッとした」というのが率直な気持ちです。次の目標は明確になりましたけど、そこに向けてどうやって作っていくというのは、おそらく今までと変わらないと思います。ただ、今はまだ休んでいる段階なので、コーチと具体的な話はしていません。今は休むことと、創設する大会や計画中の育成プロジェクト(4月19日掲載の後編で詳報)にプライオリティーを置いています。

──昨年9月のMGCは3位に終わりましたが、3月1日の東京マラソンは自身の記録を21秒更新する2時間5分29秒の日本記録を樹立しました。東京五輪の代表に内定するまで、重圧を感じましたか?

MGCでパッと決められず、引き延ばしてしまった。正直「長かったな」という思いはありますね。

──MGCという東京五輪の選手選考システムは、日本の陸上界にとって大きな一歩だと思います。レースも盛り上がりました。選手としてはどのように感じていますか?

日本陸連(日本陸上競技連盟)が新しいことに挑戦したのは素晴らしいことだと思います。選考基準が明確になったことは評価したいですけど、大会が盛り上がったのは選手が頑張ったからであって、出場料や賞金などまだまだ不十分なところはあります。最終的にMGCが良かったかどうかの評価は、東京五輪の結果次第ではないでしょうか。

特別なマラソントレーニングはやっていない

──東京マラソンの前には2カ月半に及ぶケニア合宿を行いました。これまでは米国・ボルダーで練習することが多かった大迫選手が、ケニア・イテンで練習した理由を教えてください。

単純に“新しい環境が必要だった”ということですね。いろいろなことにチャレンジするのは僕の性に合っているし、マンネリ化を防ぐのは大事なことです。あと、今冬のボルダーが寒かったからというのも理由のひとつです。「次もケニアに行くのか?」とよく聞かれますが、そのあたりはまだ分かりません。

──驚いたのが、ケニアに行ったのは今回が初めてだったそうですね。不安はなかったですか?

とりあえず行ってみて、しばらく滞在してから考えようと思っていました。比較的過ごしやすかったので、このままやってみようという感じでした。

──練習環境の違いは大きいと思いますが。

どうですかね。イテン(標高約2,400メートル)はボルダー(標高約1,655メートル)より標高は高いですけど、やることはそんなに変わりません。どこに行くかということよりも、何をするかが大切ですから。

──イテンでは多くのトップランナーが練習しています。

いろんな選手がいましたが、みんな自分のトレーニングに集中していました。過度に入れ込むことなく、いつも通りです。ただ単に練習場所が変わって、負荷が上がったという感じだと思います。

──生活環境で困ることはありましたか?

僕は最低限必要なものがそろっていれば大丈夫なんです。ケニアに行ったことがある日本人選手の中には「ひどかった」と言う人もいるみたいですが、いろんなことを求めすぎている気がします。安全な宿泊先さえ選べば、たまに水が出なくてもさほど困ることはありません。ただ、現地に“プライベート”で来たというメディアの方には、ちょっと参りましたね。

──“取材”ではなく“プライベート”で、ですか?

はい。そう言っていた記者と共通の知り合いを介して、一度だけ食事に行ったんです。そのプライベートな食事会での話題が記事化されてしまいました。これは僕の意図しなかったことだし、何よりアンフェアですよね。こういうことがあると取材を受けたいとは思えなくなるし、今の時代はメディアを通さなくても、皆さんに直接情報を伝えることができます。これからは、僕らアスリートがメディアを選ぶ時代になってくるのかなと感じています。

──大迫選手がメディアを介さず情報を伝える取り組みの一環として、昨年12月26日に公式アプリ「SUGURU OSAKO」をリリースしました。これまで公開してこなかったトレーニング内容を、少しずつ明らかにしていますね。

トレーニングに関しては、皆さんに情報を提供するというより、モチベーションを高めてもらう意味合いが強いです。公開しているトレーニングは、僕が4〜5年かけてようやくできるようになったメニューなので、すぐに実践するのは難しいと思います。それよりも「明日も頑張ろう!」というポジティブな気持ちになってもらいたくて。アプリのコンテンツはまだまだ不十分なので、これからもっと増やしていきたいし、今後はオンラインサロンもできたらいいなと思っています。

──そのアプリでは45キロ走を行い、ラップタイムを公表しています。マラソントレーニングはどういうことをやってきたんですか?

それはまだ秘密です。これまでも言ってきたことですが、マラソントレーニングはオーソドックスな距離走とスピード練習などを組み合わせて、バランスよくやっていくことが大事だと思います。詳細はアプリを通じて少しずつ伝えていく予定ですが、皆さんが想像しているほど、特別なことはやっていませんよ。

──大迫選手は早稲田大学卒業後、日清食品グループを経てナイキ・オレゴン・プロジェクトに移籍し、米国・オレゴンに移住しました。新たな環境でのトレーニングはすぐに結果には結びつきませんでしたが、当時はどのような気持ちでしたか?

悔しい気持ちはありましたけど、僕は目標に向かって努力を積み重ねてきただけです。シンプルにトラックで世界と戦うことを目指して、頑張らなきゃいけないという思いでした。

──ナイキ・オレゴン・プロジェクトのトレーニングにうまく適応できなかった部分もあるのでしょうか?

僕のなかでは“移行期”というか、“過渡期”という捉え方をしていました。1〜2年で差はでなくても、10年たったときには大きな差になると信じていました。

──大迫選手は社会人2年目まで日本選手権で勝つことができませんでした(2012〜14年が1万メートルで2位、15年が5000メートルで2位)が、3年目(16年)に長距離二冠を達成して、翌年は1万メートルを連覇。その後のマラソンでの躍進につなげています。リオ五輪にはトラック(5000メートル、1万メートル)で出場しましたが、東京五輪はマラソンで勝負したいと考えていたんですか?

もともとマラソンをやりたいと思っていたんです。ただ、それを公言してしまうと、そのためのトラックだと思われてしまう。これは本意ではないし、トラックで世界と戦いたいという気持ちもあったので、あまり言葉にはしてきませんでした。でも、東京五輪はマラソンで狙いたいという気持ちはありましたね。

大迫傑「今はトラックで戦いたい」 長距離界の星が描く“勝利の方程式”とは(2016年8月30日)

──15年には5000メートルで13分08秒40の日本記録を樹立し、トラックで出場した13年、15年の世界選手権とリオ五輪はそれぞれ21位、予選落ち(1組7着)、17位に。この結果についてはどのように捉えていますか?

日本記録を出したときや、日本選手権に勝ったときはすごくうれしかったですが、いろんな選手と対峙(たいじ)していく中で、自分の限界を感じたことも事実です。5000メートルで13分を切ることは可能かもしれないけど、世界のトップクラスと戦うことを考えたときに、僕の可能性は少ないと感じました。

──それはモハメド・ファラー(英国)やゲーレン・ラップ(米国)ら、ナイキ・オレゴン・プロジェクトに所属していた選手と比べて感じたことでしょうか?

日本にいると自分の可能性はいくらでもあると思い込みがちなんですけど、世界を見たときに自分はこれくらいなんだと気付かされました。ただ、マラソンは雌雄を決する要素がフィジカルだけでなくメンタルも大きいので、勝負できる余地があるのではないかと思いました。

──初マラソンとなった17年4月のボストンで3位(2時間10分28秒)になりました。ここでマラソンの方が勝負できると感じたんですか?

そうですね。「もしかしたら戦えるかもしれない」という思いは、トラックよりも強くなりました。

──その後はマラソンで結果を残し、日本記録を2度も塗り替えました。今後はマラソンを中心にやっていくつもりですか?

トラックレースをトレーニングとして使うことはあるかもしれないですけど、あくまで僕のフィールドであるマラソンで戦い抜くことが大事だと思っています。

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