2020年東京五輪で活躍が期待される選手を紹介する連載「2020の肖像」。第14回は、前例のない二刀流に挑む平野歩夢(21)。スノーボードの男子ハーフパイプでは、五輪2大会連続で銀メダルを獲得。2018年秋、20年東京五輪の新競技・スケートボードのパークに挑むことを表明した。両種目とも中途半端になってしまうリスクは小さくない。それでも挑戦する理由を、朝日新聞社スポーツ部・吉永岳央氏が探る。
かつてない挑戦の現在地は、必ずしも順風満帆ではない。11月下旬にあったスポンサーのイベント。少し苦笑いを浮かべながら、平野は口を開いた。
「スノーボードと比べると、大した結果はついてきていないんですけど……」
実際、9月にブラジル・サンパウロで開催された世界選手権は17位で決勝に進めなかった。11月にリオデジャネイロであった東京五輪予選対象大会の今季開幕戦「STUオープン」も、19位で予選敗退。輝かしい実績を残してきたスノボのようには滑れていないのが現状だ。
「残り時間が少ない中、スノーボードをしていた時よりもハードなスケジュールで、分からないことも多い。そういう意味では、思ったよりもすごく大変な部分がいっぱいあります」
スケボーに出会ったのは、4歳の時だった。スノボを始めたのも同じ時期。父・英功さん(48)はプロサーファーをめざして脱サラした過去を持つとあって、「横乗り」と称されるスポーツを始めたのは自然な流れだった。
拠点はずっと、父が地元の新潟県村上市で運営に携わる国内最大級のスケートパークだ。スノボの遠征にも昔からスケボーの板を持参し、空き時間に滑っていた。そうやって、2種類の板に長く関わってきた。
雪上での活躍はめざましかった。13年、選手たちの間では五輪以上に重要視されることがある世界最高峰のプロ大会「ウィンターXゲームズ」に中学2年で初出場し、2位。14年ソチ五輪では銀メダルに輝き、日本の冬季五輪史上最年少となる15歳で表彰台に上がった。一気に全国区となった後も快進撃は続く。16、18年にはXゲームズを制覇。同年の平昌五輪でも銀メダルを獲得した。
ただ、頂点に立てると本気で信じていたから、平昌の銀メダルにはこれまでにない無念が透けた。
「まさかあの順位だとは思わなかった」
優勝した米国のショーン・ホワイト(33)との差はわずか2.50ポイント。紙一重で喫したこの黒星が、平野の背中を押すことになった。
「悔しさは十分に感じました。ただ、その悔しさを生かすようなことをしないと。悔しいだけで終わるのは、やっぱりもったいない。受け入れながら、どうやって『次』をめざすのか」
出した答えの一つが、五輪の新競技・スケートボードへの挑戦だった。
「正式種目になった以上、スルーするわけにはいかない。(平昌五輪後)何をしないといけないかって考えた時、そこにスケートボードがあった」
競技の転向ではなく、両立。挑むのは、あくまで二刀流だ。
「人間として成長していきたい。人として強くなりたいんです」
「自分のために、自分で決めました。正直、人に言われることではないし。誰かに言われて始めるというのは、すごく恥ずかしいことだから」
ただ、二つはまるで違うスポーツだ。見た目は似ていても、共通点は少ない。あるスノーボードコーチが言う。
「重心の位置が違うし、スケボーは足が固定されていないから、板を扱う感覚がスノボとは異なる。車輪で走るスケボーが進むのは前後だけど、スノボは左右にもスライドするから滑っている時の体感も違う」
両立の難しさは、平野も実感しているところだ。
「『スノーボードをやっているから、スケートボードがうまい』なんてことは一切ない。ゼロから100まで積み重ねないと。『やりたい』って言ってすぐやれるほど簡単じゃないことは、僕が一番感じている」
似て非なる二つの競技。スケボーに時間を割いた結果、せっかく積み上げてきたスノボの競技力が落ちてしまう危険性もある。雪上で築いた実績と名声は、すでに超一流。なのに、リスクを冒してまで、スケボーに手を出す必要が? 本人にそんな質問をぶつけたことがある。
答えは明快だった。
「誰も挑戦していないことにこだわり続けたい」
振り返れば、スノボでも挑戦する姿勢を貫いてきた。例えば、単発でも世界で数人しかできない大技「ダブルコーク1440」(縦2回転、横4回転)を世界で初めて連続で成功させたのが、平野だった。
「答えのないところを、自分が切り開いていかないと」
平昌五輪の半年前にあったニュージーランド遠征で、平野のそんなつぶやきを、スノボ・ハーフパイプ日本代表を率いる治部忠重コーチは聞いている。
スケボーの初陣は、19年3月に神奈川県藤沢市であった日本オープンだった。3位。5月の日本選手権では初出場優勝を果たし、日本スケートボード協会の強化指定選手に。
「エア(空中技)はピカイチ。跳んで着地する技術は高い」
とは、日本代表の早川大輔コーチ。スタートは上々に違いなかった。だが今、世界の舞台で結果が出せず、もがく平野がいる。それでも、語る口調は楽しそうだ。
「経験したことのない環境で、周りの人たちにもまれながら、やっぱりここで、また自分の成長を見つけていければなっていう気持ちが大きいです」
スケボー挑戦を決めた時には、こんなことを言っていた。
「誰もいない道を行く。トップであり続けたいなら、そういう考え方をしていかないと。カッコ良いとか悪いっていうものへのこだわりは、自分はもう捨てたつもりなので。常識をひっくり返す最初の人間が一番大変だし、勇気も要る。失うものも大きい。それでも僕は、新しい物を作る側として唯一無二の物を作りたい」
夏と冬の五輪に両方出場すれば、日本勢では史上5人目。残り時間は、あと7カ月ほど。
「やったらやった分だけ実力がつくわけでもなく、けがのリスクもある。どういうふうにやっていかなきゃいけないか。頭でも、体でもフルに動かしているような状況。一つずつ積み重ねていった結果が、みんなに応援してもらえるような形になれば。今できるベストを突き詰めたい」
二刀流が成就するかどうかは、本人にも分からない。ただ、平野の背骨を「挑戦」の喜びが貫いている。
AERA
平野歩夢、オリンピックに出れなくても、カッコいい。
純粋に応援、何かメディアに出たら必ず観てしまう。
スーパースターのオーラがある