幻のバロンドーラー、レバンドフスキ

幻のボロンドーラーと呼ばれているレバンドフスキ。独占インタビューと妻との生活改善のコラムをお届けします。

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 時間は少々遡るが、『フランス・フットボール』誌6月20日発売号は、アントワーヌ・ブーロン記者によるロベルト・レバンドフスキのロングインタビューを掲載している。ブンデスリーガは再開していたものの、今年のバロンドール選出中止が同誌により発表される以前のことである。

レバンドフスキこそは、カリム・ベンゼマと並ぶ今季のバロンドール中止決定の最大の被害者であるといえる。年齢的にはもう決して若くはない。しかしそのパフォーマンスは、彼こそ今日のヨーロッパで最も優れたアタッカーであることを示している。

そのレバンドフスキが語った――あらゆるスポーツに手を染めた子供のころの思い出、すべてに完ぺきを目指す飽くことなきストライカーへとなっていった過程、どうして他のフットボーラーと違いを作り出せているのかというポイント、そしてなぜこれほど効率的にゴールを量産できるのかという秘密など……。

小さい頃から憧れていたプロのサッカー選手。
――ネット上で検索すると、あなたの子供時代の写真がたくさん出てきます。レバンドフスキ少年は、今日のロベルト・レバンドフスキを見て何を思ったでしょうか?

「うーん(微笑)、子供のころは、世界最高のクラブで大観衆を前にプレーするのが夢だった。それから20年がたち――10年前にも同じことを考えていたが――結局その夢は実現したね。

かなり早い時期から僕は、プロになるため真剣に努力しなければいけないと意識して、実際に取り組んできた。そう考えたのが17~18歳のころで、最高レベルに到達して夢を実現しようと真剣に考えて集中的に努力した。何を成し遂げたいかは明確に意識していた(註:17~18歳でプロへの意識に目覚めるのが早いかどうかは議論が分かれるところだが、レバンドフスキ自身は早かったと判断している)」

――どんな子供だったのでしょうか?

「内気で身体も小さかった。体重は長い間20kgから増えなかった。でもそれは、あまり重要ではなかった。僕はサッカーがやりたかっただけで、小柄で痩せていたことは関係なかったからね。

どのチームでも僕が一番小さかったけど、8歳のチームは存在しなかったから10歳のチームに入らざるを得なかった。あの年代で2歳の差はもの凄く大きい。フィジカルは大きく後れを取っていた。でもその時期に、本当に多くのことを学ぶことができたよ」

ドルトムントに移籍して1年目でプロの考え方に。
――当時から今日のように体系的かつ組織的なプレーをしていたのですか?

「それはもっと後のことだ。あの頃はサッカーをしているだけで単純に楽しかった。17~18歳、あるいは19歳になったぐらいにこう思った。『ここからは本気でやらないといけないな。もっともっと頑張るぞ』と。単に優れているだけではトップには登り詰められない。とにかく進化し続ける。そのためには人一倍の努力が必要だ。

ボルシア・ドルトムントに移籍(2010年、当時21歳)して1年後に気持ちの持ち方、サッカーの考え方が完全に変わった。何をすべきかがわかり始めて、年ごとに多くのことを学んだ。僕はもっと進化できる。それにはさらに努力して、完ぺきを目指さねばならないと」

――今日のスポーツでは“インターディシプリナリティ(様々なスポーツを学ぶことで、複合的に運動のレベルを上げていくこと)”がよく話題になりますが、あなたは若いころに様々なスポーツを実践しました。それは今の役に立っていますか?

「すべては語れないよ。僕の秘密のひとつだからね(笑)。たしかに子供のころはスポーツ漬けだった。母は体育の教師、父もそうで(父親は彼が16歳のときに逝去)、僕のスポーツにおけるコーチでもあった。

いろいろなスポーツにトライしたよ。器械体操、バスケットボール、ハンドボール、ホッケー……バレーボールは母や姉もやっていた。

学校ではすべてのスポーツをやりたかったし、できる限りの競技をプレーした。だからサッカーを存分にプレーする時間がなくて、それが最大の不満だった。父は元柔道選手で僕も教わったけど、彼は僕が柔道に熱心になるのをあまり喜んではいなかった。柔道の難しさをよく理解していたし、危険な競技ジャンルであるかもわかっていたからね。

結局、僕は父にこう言われたんだ。

『お前は熱心にやっているが、(柔道を続ける限り)その見返りは少ないだろう』と。

柔道で頑張ったけど、サッカーに専念するようになった理由のひとつが父の言葉だった。

今の僕は身体が柔らかく、ピッチの上でどんな動作も容易にできる。当時はそれぞれのスポーツに適応することの意味を理解していなかったけど、今はそれがどういうことなのかよくわかっている」

「ある年はチームの得点の半分を僕が決めた」
――サッカーですが、当時からゴールへのこだわりは強かったですか?

「もちろんだ! どんな試合でもまたどのポジションでプレーしても――ストライカーに限らずゲームメーカーやウィング、サイドバックであっても、できるだけたくさんゴールを決めたかった。ある年など、チームの得点の半分を僕が決めた。チーム全体で約100点取ったけど、そのうちの50点が僕だったんだ。ゴールを決めたときの達成感こそが、ピッチ上で感じる至福のときだった」

「考える前に身体が反応するようにする」
――プロになってから何得点したか覚えていますか?

「いや、まったくわからない」

――478点(2020年6月20日現在)です。

「それは悪くないな……」

――今や得点は機械的な作業になっていますか?

「試合はそう簡単ではない。特に疲労が蓄積しているときはそうだ。ゴールの90%は頭の働きと集中力で決まる。疲れると考えるスピードがどうしても落ちる。すると時間もスペースも限られる。ゴール前では、どうするかを決断するための時間はせいぜい0.1秒か0.2秒だ。

だからこそ練習で徹底的に突き詰める。動きもシュートも無意識にできるようになるには練習しかないからね。右足も左足も関係ない。常にどんな事態にも備える。考える前に身体が反応するようにする。そこで時間をかけて考えるならすべてが台無しだ。身体と脚が一体となって、自然と最適な動作をおこなうようにする。それこそが僕の仕事の一部だ。

ただ、試合に勝とうとするときには、そうしたことはあまり関係がない。様々なディテールが違いを作り出すからで、どれだけ集中して注意深くディテールに配慮できるかが、勝負を決める鍵になる」

「チームのために石や水を運びたいと常に思っている」
――(ストライカーとしての)本能についてはどう思っていますか?

「それもまた重要だ。だが本能に加えて、練習での膨大な積み上げが必要だ。才能や本能だけでどうにかなるものではないだろう。努力を怠れば進歩はありえない。

だが、本能が働くときもある。反射神経や集中力、頭から脚へと伝わる刺激……。試合では何がどうなるかまったくわからない。だからこそ準備しておく必要がある。練習による準備の積み重ね以外に、どうしてそんなことをしたのか説明できないことがしばしばある」

――週にどのぐらいの時間をゴール前で過ごしているのでしょうか?

「とても長い時間であるのは間違いない。練習の80%から90%はそうだと思う。でも僕は、試合のあいだずっとゴール前でボールを待つタイプではない。

チームプレーがすきだし、自分の動きで新たな状況を作り出したい。ひとりふたりのディフェンダーを引きつけてスペースを作り、チームメイトに貢献する。その後でボールを受けて、何かの付加価値を与える。たしかに僕の最大の特徴はゴールかも知れないけど、チームのために石や水を運びたいと常に思っているよ」

「夢ですら見たことのない望外な出来事だった」
――あなたが10番としてもプレーしていることは忘れられがちですが……。

「そう、僕はできるだけボールに触れたいし、チームの攻撃構築に参加したい。どんな状況にも応えられる柔軟性を持ちたい。ひとつのタスクしかできない選手にはなりたくないんだ」

――アタッカーはときに全能であるかのような感覚に囚われますが、あなたはそれをどう説明しますか?

「正直に言うけど、CL準決勝で4得点を決めたこと(2013年4月24日、ボルシア・ドルトムント対レアル・マドリー)や、9分間で5得点を決めたこと(2015年9月22日、バイエルン対ヴォルフスブルク)は、夢ですら見たことのない望外な出来事だった。

特別な何かを自分は成し遂げた。僕が打ち立てた記録は、これから30年、40年、50年と続いていくサッカーの歴史の中でずっと輝きを放つ。言葉には表せない喜びだった。ピッチの上でも信じられない思いで、僕は言葉を失った。誇りに思うし、これからの人生でも決して忘れることのないことだ」

――2月25日のCLラウンド16のチェルシー戦・第1戦(0対3でバイエルンの勝利)も、その点では同じでしょうか?

「あの試合も信じられなかった。僕はふたつのアシスト(どちらもセルジュ・ニャブリのゴール)とひとつの得点を決めた。誰もが記録を重視しているのはわかっている。『得点を決めたから合格だ』と評価する。

でもそれ以上に、僕のふたつのアシストがバイエルンをアウェーで3対0の勝利に導いた。それを加味したうえでの得点だったんだ。もちろん僕の身体の中には、得点を渇望する血が流れてはいるけれども……」

「ストライカーが進化していくのはとりわけその部分」
――あなたは相手の守備を綿密に分析するタイプでしょうか?

「僕らは相手がいつもどうやっているかを徹底的に分析する。相手がどんな狙いを持ち、僕らがそれに対してどう仕掛けられるかを……。それに加えて僕は相手のディフェンダーをよく知り、対処できるように最善の準備をする。もちろん難しい仕事で、戦いに勝つには100%の集中力が必要だ」

――脳の機能を進化させるための訓練もおこなっているのでしょうか?

「特別に何かしているとは言わないけど、メンタル強化のための日常的なトレーニングは怠りなくやっている。

ストライカーが進化していくのはとりわけその部分であるからだ。終わりのないトレーニングで、ピッチの上だけに限らずピッチの外や家でも続けていかねばならないことだ。もしも50%で済ませてしまったら、それはプレーに必ず反映されるし試合のパフォーマンスにも影響を与える。ゴールを決められるかどうかにも大きくかかわる。僕はそんな風に日常生活を送っている」

ロベルト・レバンドフスキインタビューの続きである。独特のPKの蹴り方から話は再開し、アスリートとしての日常生活の律し方、モラルをどう保ちながら社会と向き合い、人としてどう生きるべきかという人生の問題にまで及んでいく。

個人的な感想を言えば、少々優等生過ぎる感も否めないが、常に模範となることを意識しているのがナチュラルな彼の人間性なのだろう。レバンドフスキにはそんな透明感がある。バロンドールについても、最後のコメントはこの時点での彼の本音であったのだろうと思う。

サッカー界で革新的なPKの技術を生み出した背景。
――NBAのスターであるステフィン・カリー(ゴールデンステート・ウォリアーズ)は、新しい3ポイントシュートを生み出しましたが、あなたはPKにおいて同じことをしました。

「(怒ったふりをしながら)それはまだ秘密だ!(笑)。ここで種明かししたら、GKたちがどう対処したらいいかわかってしまうだろう。

確かに僕はPKの蹴り方を大きく変えた最初の選手なのだろうと思う(註:キックの1歩前にほんの一瞬立ち止まり、GKの動く方向を確認しながらボールをその逆に蹴り込むやり方。一連の動きはスムーズで100%に近い成功率を誇っている)。

今は真似る選手も多くなった。ただ、PKは運の要素が強くて、それはこれからも変わらないだろう。僕の目的はシンプルだ。成功の確率を高くする。それこそが大事なことで、あのやり方は僕のやりたいことを反映している。それ以上は言えないね。

実際にどう動いているか、どんな練習であのやり方で蹴れるようになったかは秘密にしておくよ。他の選手もトライしているのを見ると、ちょっと誇らしく思う。いい蹴り方であることが認められたわけだから」

――あの蹴り方を思いついてから、試合で試すまでにどれぐらい時間がかかりましたか?

「とにかく練習をした。優れた感覚を身に付けるには、繰り返し練習するしかなかった。身体が自然と動くようになるまで、毎日のように居残りで練習をした。本当に長い道のりだった。1週間やそこらで、自分の蹴り方を変えることなどできない。すべてがシステマティックになるまでには、そこに至るまでのプロセスがある。

あのやり方で初めて蹴ったのはペップ(グアルディオラ。2013~16年バイエルン監督)のときだったけど、準備には少なくとも1~2カ月はかかったかな」

妻アンナと日常生活を徹底的に改善した。
――蹴り方以上に、あなたのライフスタイルの改善策が、あなたのサッカーの内容を劇的に変えたのではありませんか?

「およそ10年になるかなあ……。僕の生活は大きく変わったのは確かだね。

妻のアンナ(空手家として世界選手権で3つ、ヨーロッパ選手権では2009年の金を含む6つ、ポーランド選手権で29のメダルを獲得。現在は栄養士の資格を持つ)が、その過程で僕の大きな力になってくれた。

衛生面や食物、あらゆる生活の分野で彼女はエキスパートといえる。彼女はライフスタイル改善のための最高の知識を得るために、多くの教授のもとで勉学に励んで専門知識を学び、様々なセミナーや講座に参加した。それらすべてが僕の助けになっている。

妻が傍らにいてくれて、僕のためにできる限りのことをしてくれているのは本当に幸せだ。彼女にこの辺りの話を聞いたら、すべてを語りつくすまでに何時間もかかるだろうね(笑)。彼女はまた他のスポーツ選手たちの日常生活改善策もサポートしている。活動自体も多岐に及んでいて、心から彼女を誇りに思っているよ」

「結果的に僕は強さとエネルギーを得た」
――具体的にそのライフスタイルの改善は、何をあなたにもたらしてくれたのですか?

「結果的に僕は強さとエネルギーを得た。彼女のやり方で回復力が高まり、練習や試合にさらに集中できるようになった。それらは様々なディテールのひとつだが、そうしたディテールをひとつずつ詰めていくことが大事で、最終的にそれが違いを作り出すんだ」

――試合の日はどうでしょうか?

「身体に負担になるから試合当日に肉は食べない。軽い食事だけで済ませている。それで十分だからだ。

食事をどうするかはさまざまな要素によって決まる。とりわけ試合が何時に始まるかは重要だ。また米やパスタ類は、短い時間で多くのエネルギーを与えてくれる。

ただ、長期的に見れば、それで何かが得られるわけではない。複雑なテーマだから、説明にはそれなりの時間がかかる。目的は、常にどんな状況でも最高のコンディションを作り出すことだ。

最も重要なのは、家であれ試合の後であれ、日常生活で常にこの補完的な段階を実践することだ。もちろん最初から有益な効果を期待することはできない。だがトータルに実践すれば、すべての注意が同じ方向を向いていることも、それが最終的な利益をもたらすことも理解できる」

睡眠についての、自身の考え方は?
――睡眠についても随分と研究をされたようですが。

「それもまたとても重要だ。特に今のように、水曜・土曜と試合が続く時期には。

通常、水曜は試合の後、深夜0時か1時に帰宅する。そこで十分な睡眠が取れなければ、身体はエネルギーを補填できない。回復のための時間は2日しかない。

これがもし週に1試合のサイクルならば、すべての面で落ち着いて過ごすことができる。試合のリズムを考慮したら、睡眠が最優先事項となる。できるだけ長く深い睡眠をとり、リフレッシュした状態で次の試合に臨む。

どれだけの準備をしたからどれほどのことが可能なのかを、試合の度に自分の身体に問いかけているよ」

「子供たちに進むべき道を示すために」
――サッカー選手は人々の模範になるべきと考えていますか?

「ことはそう単純じゃない……。選手はピッチ上のパフォーマンスを見られているだけでなく、試合の後、家で何をしているかまで世間の目に晒される。だからこそ嘘偽りのない自分自身であらねばならない。そうなれるように僕はできる限り努めている。

子供たちは僕らを見て、僕らのようになりたいと思い、僕らの真似をするだろう。だからこそ僕らは最高の模範を示さなければならない。子供たちに進むべき道を示すために。ただ、それは、簡単なことではないけれども……」

――なぜでしょうか?

「たとえばあることを認めたがらない人は多い。ゴールを決めたと聞いたら、『彼なら2~3点取れたはずだ。1点では不十分だ』と答える。人は常に過剰な期待を抱き、選手が能力を発揮したことを評価しない。彼らのほとんどは、特定の数字だけでパフォーマンスを判断するし、ときには試合すら見ようとはしない。正しい態度ではないし、喜ばしくもないが、それもまたサッカーということだ」

なぜコーヒー販売の事業を始めたのか?
――あなたはドイツでコロナ対策に積極的に関わっていますし(100万ユーロを寄付)、人種差別反対のメッセージも多く発しています。それもまたサッカー選手としての在り方なのでしょうか?

「その通りで、とても重要なことだ。何かいいことを示して見た人が何かを触発されたら、それは僕にとってひとつの勝利だ。多くの人がいいことをするようになれば、正のスパイラルがはじまる。あまり表立って話したいことではないけれど……。人に知られずに活動していきたい」

――自身でコーヒーを販売するなどサッカー以外の活動も展開してますが、スポーツ以外の分野での活動も重要でしょうか?

「たしかにサッカー以外で幾つかのことをしている。コーヒーは友人が話を持ってきた。

彼がそのコーヒーの味を気に入り、もっと世の中に広めたいと思うようになった。僕らは議論を重ねながら微妙な匙加減を調整して、少しずつ味を改良していった。そして最終的に、『この製造方法で間違いないな?』『OK、それでいこう』ということになり販売を始めたわけだ。

現役引退後はもちろん、現役を続けている今でさえ悪いことではないと思う。もちろん僕はサッカーに100%集中しているけど、試合や練習の合間に多少なりとも自由な時間がある。そんな時間に何かするのを禁じられてるわけじゃない」

「生涯最高の時期がもうすぐやって来ると確信している」
――現在31歳(註:6月20日現在。8月21日に32歳となった!!)ですが、キャリアの最高の時期を迎えていると思いますか?

「うーん、それはまだかな。たぶんもうすぐピークが来る。生涯最高の時期がもうすぐやって来ると確信している。ただ、それは、数字で示せるものじゃない。それに契約もこれで終わりではない(昨年夏にバイエルンと2023年まで契約を延長)。できる限り長くプレーし続けたいしトップフォームを維持していたい。

僕には先のことを考える時間がある。でも今はとても充実している。この8月21日に32歳になるけど、年齢を実感してはいない。現在のサッカーとサッカー以外の活動を考えたとき、年齢には何の意味もない。この先2~3年だけトップでいるのではなく、僕はもっと長いスパンを見据えている」

「だからバロンドールのことは考えていないよ」
――ではこれからの数カ月で目指すものは何でしょうか?

「バイエルンのようなクラブでは、目標は常に同じだ。獲得しうるタイトルのすべてを獲得すること。ポーランド代表では、僕らが戦えるチームであると証明すること――最高の力を発揮して素晴らしいプレーを実践し、サポートしてくれる人たちを幸福にしたい。ポーランドや世界中に散らばるファンは、そうであることを望んでいるのだから。個人的にもそれが達成出来たら最高に幸せだ」

――バロンドールについてはどうですか?

「(笑いながら)去年の授賞式でも僕はその場にいた。今年はどうなることか。ただ、僕が追求しているのは、ベストを尽くしできるだけ多くのゴールをあげて、チームのタイトル獲得に貢献することだ。コレクティブなトロフィーを獲得することが、結果的に個人タイトルにもつながる。一番重要なのはそういうことだ。

だからバロンドールのことは考えていないよ。人生ではすべてが可能と思ってはいるけれども(笑)……」

 

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