2016年に覚醒剤取締法違反などの罪で有罪判決を受けた元プロ野球選手、清原和博氏(52)の執行猶予が15日午前0時に明けた。清原氏はこの日、スポニチ本紙のインタビューに応じ「(前夜は)落ち着かなくて一睡もできなかった」と心境を告白。薬物依存症との闘いが続く中、息子2人の存在が心の支えになっていると明かした。中学3年の次男には野球を指導しているといい「いつか高校野球の監督になりたい」と夢を語った。
濃紺のスーツに身を包んで姿を現した清原氏。「(前夜は)落ち着かなくて一睡もできませんでした」と4年間の執行猶予が明けた心境を率直に告白。「悪いことをしているわけじゃないんですけど(刑の言い渡し効力が)消える間際にまた踏み込まれるんじゃないかという恐怖もありました」と逮捕時の“トラウマ”に今もつきまとわれていることを明かした。薬物依存症やうつ病などとも闘い、苦しみ続けた4年間。心の支えになったのは、昨年3月に約5年ぶりに再会した息子2人の存在だ。野球のシニアリーグに所属している中学3年の次男には、バッティングを指導することもある。「逮捕された当初は野球をやったことも後悔したし、野球を見ることもできなかった。でも息子に教えるようになって、凄く野球を見るようになった」。次男の野球センスは「中3の時の自分と比べても技術的にはいいものがある」と語り「息子がどのレベルにあるのか気になって、高校野球の動画も凄く見る」と苦笑い交じりで親心を明かした。
最近は少年野球のコーチを依頼されることも。そんな中で芽生えたのが「高校野球の監督になりたい」という夢だ。「犯罪歴があって甲子園に出た監督がいるという話を聞いて、それなら自分もチャンスがあるのかなと思って」。適性審査に合格すればアマ球界での指導が可能になる「学生野球資格回復制度」の研修を今後、受けるつもりだ。
甲子園の申し子だからこそ、球児たちの気持ちはよく分かる。新型コロナウイルスの影響で春夏の甲子園が中止になったのは自分のことのようにつらかった。「自分が甲子園に出たいという夢を持ったのが9歳の時。そこから野球を始めて、お母さんが毎朝起こしてくれて練習に行った。高校3年の甲子園は、自分だけでなく家族にとっての集大成。ニュースを見てると(中止が決まった後)気丈にバットを振っている子がいましたが、それを見て涙が出ました」。代替大会も準備されたが「(甲子園大会の)代わりなんかないんです」と力を込めた。
特別な場所である甲子園。「だからこそ連れていってあげたいし、自分ももう一度行きたい」。新たな夢を胸に再スタートを切る。
スポニチ
正直、甲子園は難しいと思うが復帰はして欲しい。
何度か、酒の席を一緒したことがあるが、実際はかなりの変人だが、世の中の人を魅了する魅力があるのでしょう。人間は変われるというのを見せて欲しい。
清原和博・プロフィール
◆清原 和博(きよはら・かずひろ)1967年(昭42)8月18日生まれ、大阪府出身の52歳。PL学園で5季連続出場を果たした甲子園では歴代最多の通算13本塁打。エース桑田真澄との「KKコンビ」で1、3年夏に優勝、2年時の春夏連続準優勝と黄金時代を築いた。85年ドラフト1位で西武入りし86年に新人王を獲得。96年オフに巨人へFA移籍し、05年オフにオリックス移籍。08年に現役を引退した。通算2338試合で2122安打、打率.272、525本塁打、1530打点。ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞5回。オールスター出場18回。右投げ右打ち。高校3年の長男がいる。