本田圭佑ブラジル移籍の仕掛人激白。「4年越しの悲願」
本田圭祐、ブラジル移籍の舞台裏

「フットボールの世界では、何が起きるかわからない」とは、よく聞く言葉だ。

それでも、こんなことが起きるとは思わなかった。それが実現する前日まで――。

本田圭佑のボタフォゴ入りの可能性がブラジルで初めて報じられたのは、1月23日。地元ラジオが「ボタフォゴ幹部が、元日本代表MF本田圭佑と接触がある代理人マルコス・レイチ氏と会合を持った」と伝え、日刊紙が「ボタフォゴ関係者が本田への興味を認めた」と報じた。

これらのニュースを聞いて思ったのは、「絶対にない」。

ボタフォゴは、ブラジルの12大クラブの1つだ。しかしよく言えば“古豪”、悪く言えば過去の栄光にすがるクラブで人気、実力ともに下り坂。財政状況が極めて悪く、累積赤字が約7億レアル(約143億円)で国内クラブ中最多とされる。

昨年末にフィテッセ(オランダ)を退団した本田に移籍金が発生しないのはわかっていたが、給料が払えるとは思えなかった。「ボタフォゴは別のMFに興味を示しており、必ずしも本田獲得に乗り気ではない」という報道もあった。

摩訶不思議な日本語で熱烈歓迎。
ところが、ここから事態が意外な方向へ転がる。

本田圭佑入団の可能性を察知したボタフォゴ・ファンが、本田のインスタグラムとツイッターに「ぜひボタフォゴに入ってくれ」というメッセージをポルトガル語、英語、翻訳ソフトを使ったと思われる摩訶不思議な日本語で大量に送りつけた。

さらに26日、ファン有志がツイッターに「#本田さんボタフォゴに来て」(日本語)を立ち上げると翌日、これがブラジル国内のトレンド首位となった。

結果的に、このボタフォゴファンの熱い反応が本田の心を揺り動かし、ボタフォゴの本田獲得への意欲を劇的に高めたのだが、当時の僕はそれを知る由もなかった。「ファンが少々騒いでも、無理なものは無理」と高を括っていた。

具体的な条件が出てくると……。
そんな僕が「これは、ひょっとしたら」と思ったのは、1月30日。「本田がボタフォゴ入団の条件の1つとして、防弾車の提供を求めている」という記事を読んだときだ。

ブラジルの大都市は治安が悪い。高級車が銃撃されて停止させられ、強盗被害にあうことが少なくない。政治家や実業家、芸能人、スポーツ選手らの間では車を防弾仕様にするのが常識となっている。「これほど具体的な条件が話し合われているのだとすれば、本田が本気で入団を考えていておかしくない」と思ったのである。

この予感は、外れなかった。

翌1月31日、ボタフォゴが本田の入団を正式に発表。本田も自身のツイッターで、ファンに向けて「リオで会いましょう」とポルトガル語で語りかける動画を投稿した。クラブ側の発表だけならまだわからないが、本田自身が認めたのだから間違いない。わずか8日前、「絶対にない」と思ったことが実現したのである。

2月7日に本田がリオ国際空港に到着した際のファンの凄まじい歓迎ぶり、翌日のホームスタジアムでの大々的な入団セレモニー、そして3月15日のデビュー戦で見事なプレーを見せ、初得点も記録したのはご存じの通りだ。

それにしても、なぜ本田圭佑はボタフォゴでプレーすることを選んだのか。なぜボタフォゴは本田獲得を決断したのか。なぜボタフォゴ・ファンはこれほど強く本田獲得を望み、熱烈に歓迎し、その後も深い愛情を注ぎ続けるのか――。

張本人の代理人は物腰柔らかな……。
いくつもの「なぜ」がある。それを探るには、本田をボタフォゴへ連れてきた張本人に聞くしかない。代理人マルコス・レイチ氏である。

代理人という立場からして、すべての質問と疑問に明確に答えてくれるとは限らない。それは承知のうえで、本田のボタフォゴ入団の舞台裏を少しでも探ることができれば――と考えて取材を申し込んだ。

サンパウロ出身の40歳。童顔で細面、なかなかの美男子だ。物腰も柔らかい。海千山千のブラジル人代理人の中では異色だ。

元プロ選手でセンターフォワードとして国内の中小クラブ、クロアチアの小クラブなどでプレーしたが、30歳で現役を退いた。

その後、エージェント会社で働いて経験を積む。2018年にニューヨークへ渡ってスポーツ・マーケティングなどを学び、昨年末に帰国。サンパウロにエージェント会社を設立した。

数人のブラジル人選手の専属代理人として彼らのキャリアをサポートする一方、国内クラブのニーズを察知し、クラブと国内外の選手(とその代理人)の交渉の橋渡しをする。本田のケースは後者にあたる。そんな彼に質問をぶつけた。

ミランでプレーしていた'16年から。
――本田をブラジルへ連れてくる、というアイディアはいつ、どのようにして生まれたのか。

「2016年、彼がACミランでプレーしていたとき、当時働いていたエージェント会社を通してケイスケのマネジメント会社の人たちと知り合ったんだ。

ケイスケは素晴らしいテクニックを持ち、視野が広い。他の選手に見えないものが、彼には見える特別な選手だ。世界各国でプレーし、経験豊富でメンタルも強い。フットボール以外にも世界で起きている事柄すべてに興味と関心を持ち、知性に溢れている。

世界中のフットボーラーの中でも特異な存在で、強く魅せられた。以来、『いつかケイスケをブラジルでプレーさせたい』と考えるようになった。

つまり、彼のボタフォゴ入りは一時の思いつきなんかじゃない。僕の4年越しの願いだったんだ」

――では本田がブラジルでプレーするクラブとして、なぜボタフォゴに白羽の矢を立てたのか。

「昨年後半から、ケイスケ側にブラジルでプレーする意思を確認していた。その一方で、彼がブラジルでプレーするならどこのクラブがいいかを考えた。

ボタフォゴはビッグクラブで、熱狂的なファンがいる。ただ近年、クラブを象徴する選手がいなかった。しかし、かつてはオランダ人MFクラレンス・セードルフが絶大な人気を博しており、外国人選手がクラブのアイコンとなることに抵抗がない。

僕にはケイスケのプレーと人間性がボタフォゴ・ファンを魅了する、という確信があった」

交渉で最も困難だったのは……。
――交渉で最も困難だったことは?

「ブラジルと日本の時差(12時間)だね。交渉がヤマ場を迎えた1月下旬の一週間ほどは、リオのボタフォゴ幹部、日本の本田サイドと頻繁にやり取りしたので、寝るのはいつも明け方。体がボロボロになったよ(笑)。それ以外は、ボタフォゴの幹部も本田サイドも極めて誠実かつプロフェッショナルに仕事をしてくれたので、特に問題はなかった。

ケイスケのボタフォゴ入団の決め手となったのは、ファンの熱意。こんなことは、世界のフットボールの歴史を振り返ってもそうそうあることじゃない。『本田サイドがクラブに防弾車を要求した』という報道があったが、あれは間違いだ。ケイスケは専属トレーナー、住宅、防弾車、運転手などの経費をすべて自己負担している」

ケイスケはブラジルでも知られた存在。
――それにしても、なぜボタフォゴ・ファンは本田獲得をあれほど熱望したのだろうか。

「ケイスケはCSKAモスクワ、ACミラン、日本代表などで活躍し、ブラジルでも知られた存在だった。ブラジルのファンは、彼が非常に高い能力の持ち主であることを知っていた。

しかも人間性が素晴らしい。知的で謙虚で、ファンをとても大切にする。圧倒的なカリスマ性がある。これらのことがすべて合わさって、あのような熱狂的な歓迎となったのだ」

――3月15日のデビュー戦(リオ州選手権のバングー戦)における彼のプレー内容をどう評価しているのか。

「素晴らしい出来だった。最初の試合だというのに、いきなり攻撃の中心となり、自分にパスを集めて見事にさばき、ゴールを決めた。

チームにとって極めて有益な選手となりうることを、1試合で証明した。僕も選手だったからよくわかるけど、これは大変なことだ」

ポルトガル語の上達も著しい。
――本田は、ブラジルでの生活をどう感じているのだろうか。オーバーエージ枠での出場を目指していた東京五輪が、1年程度延期された。ボタフォゴとの契約は今年末までだが、来年以降もボタフォゴでプレーを続けて東京五輪出場を目指すのだろうか。

「彼はリオでの生活をとても楽しんでいる。個人教師をつけてポルトガル語を勉強していて、上達が著しい。ブラジルの文化、習慣にも馴染みつつある。

東京五輪の延期については、非常に冷静に受け止めている。クラブも望んでいるから、契約を更新して、来年もボタフォゴでプレーする可能性が高い」

――今後、本田以外にも日本人選手をブラジルのクラブに紹介したり、逆にブラジル人選手を日本のクラブに送り込むことを考えているのか。

「日本には優れた選手が大勢おり、彼らの多くはブラジルのビッグクラブでも全く問題なくプレーできる。これからも、ブラジルと日本の絆を大切にしたい」

本田の移籍で一躍有名代理人に。
しばらくブラジルを離れていたこともあって、今年初めまでレイチ氏はブラジル国内でほとんど無名だった。しかし、本田圭佑のボタフォゴ入りを実現させたことで一躍、有名代理人の仲間入りをした。

ボタフォゴ・ファンからは「本田をブラジルへ連れてきた最大の功労者」と称賛され、ヒーロー扱いすらされている。しかし本人は「ケイスケのボタフォゴ入りを実現させた最大の要因はファン」と繰り返し、「彼らは本当に素晴らしい。僕自身が彼らのファンなんだ」と謙虚な姿勢を崩さない。

こういう男は、自己主張が強いブラジル人としてはかなり珍しい。そのことも、本田と本田のスタッフの信頼を勝ち得た理由の1つだろう。

本田圭佑は、ボタフォゴでまだ1試合しかプレーしていない。にもかかわらず、地元メディアは「今後のボタフォゴに欠かせない選手」と評価し、クラブ関係者とファンはチームの中心選手の1人として扱う。

本田がブラジルへやってきて、“古豪”ボタフォゴに加入する。これほどまでにファンから愛され、わずか1試合プレーしただけで「クラブの顔」になる――これらのすべてが、少し前まで想像できなかったことばかりだ。

そして、かかる“奇跡”を仕掛けたのが、この代理人らしからぬ代理人なのである。

本当に、フットボールの世界では何が起きるかわからない。

ワールドカップ三大会連続得点、ACミランで10番を背負った男

profile

本田 圭佑(ほんだ けいすけ、1986年(昭和61年)6月13日 - )は、大阪府摂津市出身のプロサッカー選手。サッカー指導者。日本の実業家。サッカークラブ経営者。ポジションはFW・MF。元日本代表。カンボジア代表監督・GM。

オランダ・ロシア・イタリア・メキシコ・オーストラリア・ブラジルなど様々な国のクラブに所属。イタリアでは名門ACミランに所属し背番号10を背負った。

日本代表としても活躍し、アジア人初となるW杯3大会連続アシストを達成。また、日本人初となるW杯3大会連続ゴールを達成しアジア人のW杯最多得点を更新した。ルディ・フェラー、デイビッド・ベッカムらに続くW杯3大会連続となる得点とアシストの両方を記録した史上6人目の選手となり、32歳11日でのゴールは日本人のW杯最年長ゴールとなった[3][4]。FIFA選出のW杯のMOM数において日本人最多の「4回」受賞し、ミロスラフ・クローゼ、エデン・アザール、ハメス・ロドリゲスらと並び受賞総数5位である[5]。

2010年には日本人選手として2人目となるUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされており過去には小野伸二(2002年)も選出されている。

指導者としても現役選手ながら実質的なカンボジア代表監督兼GMに就任。また、自身がプロデュースするサッカースクール「SOLTILO FAMILIA」を日本全国で開校[6]。

経営者としても複数のプロサッカークラブの実質的オーナーを務めている[7]。

投資家としてはウィル・スミスと共同で投資ファンド「ドリーマーズ・ファンド」を設立[8]。

何故好きか

とにかく昔から、好き。勿論プレーも好きなのだがビックマウスな所も好きだし、常人離れした行動もいつもワクワクさせてくれるし楽しい、勿論全てが上手くいっているわけでは無いだろうが、そんなところも良いと思う。

最近で一番好きになった話は、ロシアワールドカップでスタメンを外されても必死にチームの為に動いていた事、そして結局、点を入れているところ、スパースターだ。賛否両論ある選手だが、ワールドカップ三大会連続得点を取っている。世界でもそうそういない偉業です。

後はビジュアルです。私服などは別にかっこいいとは思いませんが、ユニフォーム姿がとにかくかっこいい、絵になります。やはり特にミラン時代は最高でしたね。強さは別にしてあのACミランの10番を日本人が本田圭佑がつけている、最高でした。

 

各スポーツ続々再開中!!
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