感動
これまでいろんなゴールを決めてきたけれど、こんなに喜ばれたのは記憶にない。「カズ、ありがとう」「言葉にできない」「ほんと、涙が出るよ」……。今まで体験したことのない、特別な感覚。こういう1点というものがあるんだなと、しみじみ思う。
後日、「カズ」を知らない小学生がカズダンスをマネしていたと聞き、うれしくなった。僕が想像したよりずっと、慈善試合(2011年3月29日に大阪・長居で行われた「震災復興チャリティーマッチ」)でのゴールは大きくて、重かった。
闘莉王選手(名古屋グランパス)がボールに競ると感じた時には体が駆けだしていた。目の前の空間にボールが落ちてくる。ロードがぱっと開けたようで、体が覚えているままに僕はシュートを放っていた。無意識のうちにボールのバウンドをとらえ、コースを選んでいる。それは「判断」を超えた、迷いの一切無い、いわばFWの本能だった。
「今までで一番胸を打ったカズダンス」と知人は言ってくれた。最後に振り上げた人さし指が、震える指から発する思いのようなものが、いつもと少し違っていて、泣けてきたという。
Jリーグの歩み、日本代表の歴史、1998年ワールドカップ(W杯)に行けなかったこと。日本サッカーにまつわる歓喜も哀愁も背負ったまま、僕はサッカーをやっているのだろう。あの試合に注がれていたのは、見守る人々のそうした「思い入れ」。そして被災されて今なお苦しんでおられる方々の、何かを求め、欲する思い。それらに運ばれたゴールだった。大きな大きなゴールに、みなさんがしてくれたんだ。
祝福とともに「カズ、あんなに足が速かったっけ」とからかわれる。僕やトレーナーは言い返す。「あのくらい走れるよ。あのタイミングで球が出てくれば決められる。ちゃんと練習しているんだから」。サッカーに対する態度や考え方が今日までぶれなかったからこそ、あのゴールに至っている。やはりすべてはつながっている。素晴らしいです、サッカーは。
そして僕のサッカーは続く。あのゴールも「一つのゴール」になる。リーグ戦でもまた心に残るゴールを一つでも多く挙げ、みんなで祝杯をあげたいですね。もっと愛されるゴールを目指して。まあしかし、あれ以上のゴールというのは、なかなか……。
日経コラム
感動とはこの事、今でもこの文章と動画を見ると涙が出る。
流石、スーパースターありがとう
日本サッカー界のキング、スーパースター、KAZU
profile
三浦 知良(みうら かずよし、1967年2月26日 - )は、静岡県静岡市葵区出身のプロサッカー選手、フットサル選手。Jリーグ・横浜FC所属。ポジションは左ウイング(ブラジル時代)、センターフォワード(日本帰国後)。妻はタレント・ファッションモデルの三浦りさ子。
ニックネームは“カズ”、または“キング・カズ”である。
日本代表としてもFIFAワールドカップ初出場に貢献した。ワールドカップ地区予選では総得点を27点記録するも、ワールドカップ本大会へは未出場。Jリーグ年間最優秀選手賞1回、得点王1回、ベストイレブンを2回受賞、1993年にアジア年間最優秀選手賞を受賞。釜本邦茂と共に、国際Aマッチ1試合で6得点の日本代表1試合最多得点記録、通算得点記録(55得点)を持つ(2011年時点)[2]。
2012年にはフットサル日本代表としてフットサルワールドカップに出場。
何故好きか
特に説明は要らないが40歳前後の日本人でサッカーをやっていた人は殆どの人が憧れたと思う。僕にとってもまさにあこがれの人だった。父の影響でサッカーをやっていた僕は、物ごごろついたころからKAZUが好きだった、ここぞという時の必ず決めてくれるそんなスーパースターそんな印象しか残っていない。1998年のワールドカップメンバー発表の時は、心底岡田監督が嫌いになった、その影響で今も好きではない。(笑)
もう、30年ぐらいファンである。どんなに動けなくなってもユニフォームを着ている姿が好きだ、勿論私服もかっこいいが。
当然、ご自身が納得いくまでやって頂きたい。