今年いっぱいで活動を休止するアイドルグループ「嵐」の大野智(40)、櫻井翔(38)、相葉雅紀(38)、松本潤(37)、二宮和也(37)が、超多忙なスケジュールの合間をぬってこのほど東京中日スポーツなど在京スポーツ紙6紙の合同インタビューに応じた。1999年のデビューから21年間の活動を振り返りながら現在の心境、大みそかの生配信ライブにかける意気込み、後輩たちに寄せる期待、活動休止後のビジョンなどをたっぷり語ってくれた。
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―大みそかに向けて今どういう心境ですか。ライブに向けてどんな準備をしていますか
櫻井「長い時間かけてたくさんの方に感謝の思いを伝えて続けてきたんですが、その期間の中で逆に『ありがとう』と言っていただく機会が数え切れないくらい多くて、胸がいっぱいになる瞬間がたくさんあったんですね。なので、21年の嵐集大成として、12月31日のライブは感謝の思いを込めながらパフォーマンスしたいなと思って今準備しているところです」
二宮「いろんなところに行く機会が増えて、昔一緒に仕事をしていた人がごあいさつに来てくれたりとか、結構懐かしい話をしている期間が多いなという感じでしたね。そういう機会をたくさんいただけて、本当にいい期間だと思いますね」
松本「実感という意味で言ったら、まだないですね。正直、31日にならないと、その実感はないんだろうなと。準備をしていく段階で一つずつやっていってはいますけど、自分たちの矢印として、12月31日のそのライブに向かっていっているので、その日になるまでは本当に準備のタイミングという感じがしています」
相葉「僕はそうですね…本当に(Xデーが)『来たな』って。2年かけて感謝の思いを伝えてきたんですけど、やっぱり現実味はなかったんですね。自分たちで決めたこととはいえ、31日を迎えるその日の想像なんて全くできなかったし、今もできていないのが正直なところなんですが、カレンダーを見ると着々と近づいている。もちろん寂しさもあるけど、僕らのやれる最善のことは、ひとつひとつのことに対して真摯(しんし)に向き合って、みんなで楽しんでもらえるものを提供するということに今は集中してやっています」
大野「ずっと(12月31日を)想像して今年やってきて、今日に至るんですが、松潤の言うように実感はないですね。3カ月前は『あと3カ月か』とか思ったり、『1カ月前か』とか思って、どんな気持ちでいるんだろうとかいまだに想像するけど、わからないというか、たぶん来年になってもわかんねーじゃないかと思って」
松本「来年は分かってほしいよ(笑)」
二宮「じゃあ、それは一生分かんないよ、たぶん」
大野「…っていうくらいやっぱりね、もう20年以上やってきているから」
相葉「染みついてるんだよね」
大野「うん、くせのようにね。また1年が始まるという正月だったから、僕に関しては特に来年から決まり事がなくなる(芸能活動をしばらく休止する)というので、想像しても分からないから、今は31日最後まで感謝を届ける気持ちでいくとしか今は考えていないで―嵐のメンバーはとても仲がいい。最近人数が変わるグループもいる中、21年間ずっと5人でやれた要因は何だと思いますか。
松本「何なんですかね、他のグループにいたことがないからなぁ」
二宮「あんまり考えたことなかったですよね。フラットな話、別に仲良くいようとも考えずに、自分たちの距離感がグループ組む前からあった人はあったので、そのまま大人になっちゃったっていう感じでしたね。気付いていたら21年たっていたという、まぁ、ありがたい環境でしたね」
相葉「嵐のみんなが嵐のことが好きだから、みんなのことを尊敬しているし、距離感の取り方が入りすぎず引きすぎずっていう、なんとも言えない絶妙な距離感だなといつも思いますけどね」
大野「よく他のグループで仕事終わって、グループでメシ食いに行くとか聞いたことあるけど、うちらそれもないしね。確かにいい距離感だったのかな」
松本「そうだよね。Hey!Say!JUMPとか、仕事の現場終わってそのままご飯食べに行くとか」
二宮「旅行行くとか言ってたもんね」
松本「いやいや、(もし旅行行くとしたら)もう緊張しちゃって」
二宮「そうそう、緊張しちゃう」
松本「気遣っちゃうから。行くんだったら行くで、前もって言わないと」
相葉「準備しないとね」
松本「そう、準備しないと。みんな忙しいですからなかなか行けないですね」
―ファンの方も嵐が好きだけど、皆さんも嵐というグループが大好きですね。
相葉「大事にしていると思います。すごく。だからこそ、今回こういう(活動休止という)決定を出すにも、2年前に発表する何年も前からずっと話し合って、覚悟してみんな納得してそういう選択も取れたと思うし。ここでの会話が成り立っていなかったら、こういう結末にもならなかったんじゃないかと思うし。21年(も活動が)できていなかったという意味で」―期待する後輩とか、こういうところを頑張ってほしいと期待する部分は?
松本「いっぱいいますよね。本当に。気がついたら下の子たちが本当に増えたから、グループの順番並べると、だいぶ上の方に自分たちがいつの日からいて。そんなに古くなったつもりはないんですけど」
二宮「古いんですよ」
松本「古くないですよ!」
二宮「認めてください、われわれはもう古いんですよ(笑)」
松本「だからびっくりしますよね。ジャニーズのラインアップというか並びを見るとすごいなと。みんなそれぞれ本当に個性的だし、グループによって色も違うし、グループ組んでいない(生田)斗真とか風間(俊介)とかをはじめ、芝居やっている人たちもいるって、僕らが入ったときは想像もつかない数だと思う」
相葉「あと、完成度がめちゃめちゃ高いよね。デビューしましたというその瞬間から」
松本「俺らなんかね、(デビュー当時の衣装が)スケスケだったからね」
相葉「いやいや、スケスケが悪いわけじゃないから」
櫻井「あれ未完成じゃないから。あれで完成だから」
―櫻井さんは仲のいい後輩もたくさんいらっしゃいますよね。
櫻井「番組に後輩来てもらうことがあって。例えば有吉さんとやっている番組(櫻井・有吉THE夜会)とか。そうするとみんな一芸を持ってくる。『僕はこういうのあります』とか『こんなキャラです』とか。そんなの僕らの時はなかったから、『いや~すごいな、みんな』というのと同時に、やっぱり個性をそれぞれ磨いて知ってもらおうって思っている気持ちの面でも。僕ら穏やかにやってきた人たちだから本当にすごいなって思う」
―自分たちでは答えづらいかと思いますが、嵐は数字でいうと圧倒的な存在があって、それを超えるグループは出てきますかね
二宮「いや~出てこないでしょう」
(一同笑い)
松本:「出てくるわ!」
二宮「ごめんなさい、そりゃそうですね。出てくるか」
相葉「すぐ抜かれたりして」
大野「いや、実際現れないと思います」
(一同爆笑)
二宮「あははは、マジなやついたな! でもね、超える超えないだけじゃないとは思いますけど、超えていくことがエンターテインメントだと思いますからね、その指標になれただけでもわれわれはラッキーだったんじゃないかと。でも、出ないですけどね」
松本「いや、出るっつーの」
―大野さんは本心ですよね
大野「もちろんそうです」
松本「いや、否定しなさいよ、あなた」
櫻井「ブレねー!」
二宮「強いのよあの子、ああいうときだけ」
櫻井「でも、数字とかいろいろいただきますけど、何年かたってその数字見たときに、今の雰囲気っていうか、空気まで含めてはどうしても残らないし、今の嵐を取り巻く環境、状況、雰囲気は何も残らないから、だからこそ今の嵐の感じを見てもらいたいんですよね、生で」―31日は活動休止前ラストの日に初の生配信ライブ。どのようなこだわりをもって制作していますか
松本「生でやるということにこだわりをもって作り始めたので、配信という形でお客さんは全くいない状態には今回もなりますけど、あくまでもリアルタイムに同じ時間をみんなで共有できるようなものをやりたいというのが一つ。あとは20周年のアニバーサリーツアーを回らせてもらって、そこで自分たちの代表曲を並べたベスト版をやって、アラフェス(11月3日に配信した国立競技場公演)でファンの皆さんにリクエストをいただき、ファンのためのライブを作ったので、次に何をやるかって考えたときに、5人で話したのは、自分たちが届けたいメッセージをテーマに今作っているという感じですかね」
二宮「あと、あるじゃない。『参加型』というのがね」
松本「そうですね。僕らずっとありがたいことに毎年ライブ、ツアーをやらせていただいている中で、毎回新しいことにチャレンジするということをやってきたグループなので、最後のこのライブに関しても、チャレンジをしたいなというふうに思っていて。生配信という形になるので、一方通行にこちらがやっていることを届ける形に基本的になってしまうのは、僕らとしても寂しいし、なんとかファンの方と直接つながれないかなという思いから、そういう仕掛けをいろいろとやっています。例えば今『This is 嵐 LIVE みんなで準備だ!TV』というのを立ち上げて、事前にいろんなものを募集したり、企画をみんなで一緒にやろうというのを動いていたりとか、あとは実際に生でライブを見ているときに、横の僕らとつながるだけじゃなくて、ファンの人同士の横のつながりも大事に、この日を過ごしてほしいなと思うので、そういうことができるように『フレンズ参戦』機能を作って動いていたりとか、いろんなことを考えて今やっているというところですかね」
―いつごろから準備をしていたか
松本「(昨年1月27日の)活動休止の会見をやらせてもらった約2年前くらいのときには、この日にライブをやると決めてずっと動いていたので、実際にコロナというこの状況が始まってから動き始めたというよりは、それよりも前から配信という形を取らなければ、僕らのファンの人たち全員が同じような環境で見られる状況にはならないだろうと思っていました」―今年もしコロナがなかったら、1年間通じてどんな活動をするはずでしたか
櫻井「北京・鳥の巣でやろうとしていて、そのあと国立競技場、オリンピックのナビゲーター、で、アメリカでの公演、日本に帰ってきてツアー、12月31日も(ライブを)やるというのが全体像でした」
―やっぱり、アメリカでやりたいというのは目標でしたか
松本「ありましたね。先代の社長であるジャニーがアメリカでエンターテインメントを見て育って、それを日本に持ち込んだのがジャニーズの始まりなので、目標として旗を立てるならアメリカでライブをやりたいというのは目標でしたね。『Turning Up』という曲があるんですけど、(ロサンゼルスで撮影した)ミュージックビデオで最後、『ザ・フォーラム』というスタジアムがあるんですが、その会場でライブをやるというのが、最終のポイントだったんですね、旗の。それを形にできたら、アメリカンドリームを自分たちがつかめたらいいよねという願いも込めて、フォーラムの中で、誰もいない中で踊って、その外でダンサーの人たちと踊っているというミュージックビデオの作りになっているんですけど、それを1年で自分たちが形にできるかどうかというチャレンジをやるっていう予定でした」
―ジャニーさんは活動休止発表の後『いつまでも嵐のファンです。応援している』とおっしゃっていた。あらためて思うことは
相葉「感謝しかないですね。この5人をくっつけてくれたのはジャニーさんだし、新しくなった国立競技場で、配信という形ではあったけど嵐でライブができたことは報告したいですね」
大野「やっぱりグループの前から、ジャニーズJr.のときからそうだけど、ジャニーさんがいたからジャニーズ事務所に入れたし、グループも組めたというのも、元の始まりはすべてあの人だから。ここまで21年やってこられたとかいろいろ考えると、やっぱりジャニーさんだなと思うし。亡くなってしまったけど、いろいろできることはやってきたから報告というか、(天国から)見ていてくれるだろうなという意識ではありますね」―ファンに会えないまま活動休止に入ってしまうが、来年まで活動延長という選択肢はありましたか
松本「なかったですね。コロナがどうなるか想像がつかないし、いまだにそうですけど、いつになったら何ができるっていう確約がない中で、仮定の中でそれをするっていう感覚が少なくとも僕にはなかったし、みんなでそういう話をしたときに『ちょっと延ばしてみる?』みたいな会話はしたかもしれないけど、そういう空気にもならないし」
相葉「相当な覚悟を持っていたんだろうね。もちろん僕らも何年もかけて決めたことだし、そこはブレなかったね」
松本「うん、逆に言うと『これをやってほしいから、ここまで延ばしませんか』と言える人もいないんですよね。要は、『こういうことを僕らに求めているので、続けてみませんか?』ということをテーブルに上げる人が誰もいなかったというのも事実です」
―来年からそれぞれがソロ活動をされますが、どのようなビジョンを描いていますか
櫻井「まあ、本当に自分一人でできることをできる範囲でということでしかないんですけどね。嵐じゃないとできないこととか、嵐じゃないと見られない夢とかたくさんあるから。個人でやれることを精いっぱいという感じです。こういう仕事を目指したいというビジョンは具体的にはないですね。結構やることがいっぱいあるので、目下年末、大みそかという部分までしか見えてないですね」
二宮「本当にいただけるものと真摯(しんし)に向き合うことしかできないと思うし、やっぱり31日の生配信と向き合っているときに『21年のこれがあるから、あれがあるから』ということは、正直見ている人たちに興味がないことなので、とにかくそこをみんなで気持ちよく思い出を作るということが最前線。嵐だからこそいただいていた仕事がほとんどなので、自分が一人になって活動の範囲が一人分にしかならなくなってしまうので、そこからいただけるものに関しては向き合っていきたいし、誠意を持っていきたいなと思います」
松本「どうしたらいいですか? お薦めはありますか?」
―薦めたらやってくれるんですか?
松本「まあ、考えます(笑)。ちょっと僕はゆっくりしようと思っています。定期的な仕事は受けていないので、少しゆっくりしながら今後のことを考えて、その中で自分が何をやりたいかとか、どういうことを今後続けていきたいのかを含め、ちょっとゆっくり充電させてもらってから動き始めようかなと思っています。ファンクラブのブログでは言いましたが、引退するつもりはないですけど、僕みたいな性格の人間は少し休みたいなという感じですかね。こういうタイミングだからこそと思っています」
相葉「僕もみんなと一緒になっちゃうんですけど、できることを精いっぱい頑張るっていうことですかね。レギュラーで頂いている個人のお仕事は引き続きやらせていただくことは決まっているんですけど、あんまり想像がやっぱりできていないというのが正直なところですかね。今は目の前のことを全力でやっている感じなので、なってみないとどういう気持ちになるか分からないと思っています」
大野「僕は何も決めていないですね。今考えても、来年の気持ちなんで、20年以上やってきたからどういう思いなのかも想像できないから何にも決めないけど、来年思ったことをやるんじゃないですかね」―アメリカンドリームは志半ば。また集まったときにかなえたい夢ですか
松本「僕個人の話で言うと、それは時期とかタイミングが重ならないとできないことだとそもそも思っていたので、時期が空いて急にポンとできるようになることでもないと思っています。さっきの話とも通じるかもしれないですけど、(活動期間を)延長することがあり得たのかという話で言うと、リーダー(大野)が『一度何事にも縛られずに休みたい』と言っていたことからすると、あんまり今後のことをこうしたいという話を今するべきじゃないタイミングなんじゃないかと思っています。まずは12月31日までを5人で走りきって、その時間を終えた後にゆっくり考えればいいんじゃないかというか、今ここでこうしたいという話をしても、そうなるとも思わないし、それは時間がたってからもう1回考えていくことなのかと思います。明言しないということが悲しいととられるかもしれないけど、明言するということに責任を取れないので、明言することを避けるというのが僕の感覚ですね」
相葉「(再開まで)何年空くか分からない中で、みんなで『もう一発いこうぜ!』ってなったときに、まあアメリカの需要ないでしょうね。そのときにはもはや、たぶん。ていうよりも、自分たちをずっと支えてくださった方たちがたくさんいるホームで感謝の思いでというふうになるのか…。そのときにならないと分からないですけど、なかなか想像のはるか上なので。でも、ジャニーさんからもらった『世界中に嵐を巻き起こすんだ』という言葉は大事にしていますね」■嵐インタビュー 取材後記
記者がジャニーズ担当になった2004年。つまり嵐がデビューしてから5年後は、まだ仕事場に電車通勤しているメンバーがいた。あれから16年。日本を代表するアーティストへと成長した5人を誇らしく思うと同時に、超多忙なスケジュールの合間をぬって取材時間をいただけたことに心から感謝したい。
活動休止までの最後のカウントダウンが始まっている。聞きたいことは山ほどあったが、スポーツ紙の記者6人に与えられた時間はトータルで30分。ある程度の役割分担は決めていたものの、いかに効率よく深い話を引き出せるかが問われる。こんなに背筋が伸びるインタビューは久しぶりだった。
おそらく誰もが一番気になるであろう嵐の将来と今後の個人活動。しかし、明確なビジョンを示したメンバーはいなかった。家族以上に長い時間を一緒に過ごしてきた5人が、一度「嵐」という看板を下ろした先にどんな景色が見えるのか、自分たち自身が想像できないのだと思う。
松本が活動再開後について「明言するということに責任を取れない」と語ったのも、一点の曇りもない本心だと受け止めた。リップサービスしておけば、ファンも安心するだろうが、無責任な発言をしないことこそが、愛情なんだなと感じた。
あらためて思う。嵐とはとんでもなくすごいグループだ。常に進化を続けてきたグループだからこそ、現状維持すら許されない重圧と闘い続けてきたから、この充電期間は絶対に必要な時間だと思う。そんなことを考えながら、5人に贈るのにぴったりな嵐の楽曲のフレーズが思い浮かんだ。2012年リリースの「ワイルド アット ハート」から。
♪一度きりの人生 転がるように 笑って泣いて生きてゆこうぜBaby 誰かの決めた 自由はいらない そして ここではないどこかへ Someday
いつかまた、5人にインタビューできる日を楽しみにしている。