【小林浩美・宮里藍】らの長所を全て持つ『 渋野日向子』の本当の課題とは?

今をときめく渋野日向子がまだ生まれていなかった1990年代序盤、現・日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)会長の小林浩美は米女子ツアーで目まぐるしい日々を送っていた。

日本人女子選手が米ツアーや世界の舞台に挑むことは、当時は「道なき道」を切り拓きながら手探りで進んでいくことを意味していた。樋口久子、岡本綾子、そして小林は、文字通り、その草分けだった。

右も左もわからない異国の地。まだインターネットもスマホも普及しておらず、情報を得ることが大変だった時代である。米国社会や生活習慣、文化を知り、英語を身に付ける必要性を痛感した小林は通訳を兼ねた世話人を日本へ帰し、「全部、自分でやる」と単独行動に切り替え、それが功を奏した。

小林は「規格外」の発想をしていた。

1993年にJALビッグ・アップル・クラシックで初優勝を挙げたとき、マイクを向けられた小林が発した英語は「Just happy.」の2語だけだった。だが、わずか2語のブロークン英語からは、彼女の努力と喜びがひしひしと伝わり、米国の人々は心を動かされ、そして彼女を讃えた。

「ヒロミはメディアセンターの人気者だ」

米国人記者たちも絶賛していた。英語の質問が正確に理解できずとも、満面の笑顔で、シンプルかつブロークンな自分なりの英語で回答する小林の必死さと愛らしさは、通算4勝の実績とあいまって、ヒロミ人気を上昇させた。現地の報道に「ヒロミ・コバヤシ」が頻出した背景には、そんな裏話もあった。

「言葉は最終的に言いたいことが通じればいい。ゴルフもきれいなゴルフじゃなくてもいい。地べたを這おうが、ゴロゴロ転がろうが、最終的に誰よりもいいスコアで上がればいい」

小林のそのフレーズは、美しさや完成度を追求する日本人の傾向とは真逆の「規格外」の発想だった。そんな日本人ばなれしたダイナミックさと強さを備えた小林に、まだ渡米して数年だった当時の私は衝撃を覚えた。

「ゴルフをやめようと思ったこともあった」
2006年から米女子ツアーに挑み始めた宮里藍は、美しいスイング、安定性のある「きれいなゴルフ」の持ち主で、パットの上手さは大いなる武器だった。日本の国民的スターとしての自覚を強く抱き、見事なほどにスターとしての役割を果たしていた。

だが、仮面を被ってでもスターを演じ続けることは、日に日に彼女の心の重荷になっていった。そして、パワフルな他選手たちと伍して戦わなければと思い立ち、さらなる飛距離を求めたことで、せっかく持ち合わせていた「きれいなゴルフ」に狂いが生じた。

心技体のバランスを失った宮里は深刻なスランプに陥った。

「ゴルフをやめようと思ったこともあった」

宮里の時計は、あのとき一時停止した。立ち直ることができたのは、自分なりのリズムやペース、自分らしいスイングやゴルフこそが大切な財産であることに彼女自身が気付いたからだった。

「欲を出して、求めすぎて、見えなくなっていたんです」

宮里の米女子ツアー通算9勝は、その先で達成された。

渋野は全部持っている。
日本人女子選手として世界に挑んだ先人たちは、それぞれに試行錯誤と紆余曲折を経て、なんとか栄光に辿り着いた。遠回りだったのか? いや、当時は、そういう道しかなく、彼女たちはそれぞれの時代に必死で最短の道を拓いてきたのだと思う。

それならば、渋野はこれからどんな道を辿ろうとしているのだろうか。

孤軍奮闘の末に小林が身につけたダイナミックな思考や姿勢。それは、渋野が随所で見せる思い切りの良さ、割り切りや切り替えの良さに、すでに見て取れる。

宮里同様、渋野も「きれいなゴルフ」をすでに身に付けている。さらに、国民的スターとしての役割を自負し、その務めを遂行している。それが重荷になっているかどうかは、渋野にしかわからない。渋野にもわからないのかもしれない。だが、少なくとも渋野には仮面を被ることなく素顔をさらす、あけっぴろげな開放性がある。

そう、渋野は全部持っている。先人たちが長い歳月をかけ、苦悩や涙の果てにやっとのことで得たものを、渋野は全部持っている。

先人たちが追い求めた世界の舞台での勝利という究極の栄冠さえ、渋野はあっという間に手に入れた。

それが、渋野が「規格外」である所以だ。

型にはまろうとしてはいないか?
そんな渋野がコロナ禍で止まっていたJLPGAの開幕戦となったアース・モンダミンカップで、いきなり予選落ちを喫した。

予選に落ちること自体は誰にでも起こること。だが、少々心配になったこともある。

せっかくの「規格外」なのに、型にはまろうとしてはいないだろうか。すでに「全部持っている」のに、さらに求めすぎてはいないだろうか。

肉体を強化し、体の捻り方を変え、52度のウエッジの操り方を磨き、新しいパターに持ち替え、トレーニングと練習をたくさん積んだと自負した上で臨んだ開幕戦。

たくさんのチェンジは、教科書通りを目指したのか、それとも渋野にとって、どうしても必要だったのか。

たくさんの「NEW」に気を取られ、意気込みすぎて、本来の集中力を欠いていたのではないだろうか。

「試合だと思うことで緊張感に襲われ、体が思うように動かなかった」

全英女子オープンの優勝争いを笑顔で戦い切ったあのときは、身も心も思い通りに動き、楽しくプレーしていたのではないだろうか。

立ち止まることもそこからの再生も未経験。
コロナ禍による予期せぬ休止状態からの再スタートは、誰にとっても難しい事態だ。

だが、先人たちが長い歳月をかけて一進一退しながら歩んできたのとは対照的に、長いはずの道程をあっという間に走り抜けてしまった渋野は、立ち止まることもそこからの再生も未経験だ。

期せずして押されてしまったポーズボタンをどうやって解除し、どうやって再び走り出すか。それが今の彼女にとって最大の課題であり、試練でもある。

「きれいなゴルフじゃなくても」「自分らしければ」
「オフにやってきたことがすべて意味のないことなのかなと思うほどの内容だった。練習でできても試合でできなければ意味がない」

これは、あちらこちらで頻繁に耳にする大勢の選手たちの自虐的な常套句だ。「規格外」の渋野の口から、そんなフレーズが出たことは意外であり、だからこそ心配になる。

型にはまろうとしてはいないだろうか。求めすぎてはいないだろうか。

かつて小林は「きれいなゴルフじゃなくてもいい」と悟った。かつて宮里は「自分らしければいい」と悟った。先人たちが悟ったものは、渋野にとっても貴重な教えとなるのではないだろうか。

その教えを謙虚に反芻し、ポーズボタンを上手に解除することができたなら、そこから先の渋野こそが、先人たちを本当の意味で上回る「世界のシブコ」になるのではないか。

私は、そう思っている。

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